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 テーリーガーター (therîgâtâ) <和訳>               (和訳;正田大観)
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【9なるものの集まり】    【11〜大いなるものの集まり】

阿羅漢にして 正等覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

(和訳:正田大観)
<日本テーラワーダ仏教協会HP用2004.10.4>
<追加 2004.10.18>

テーリーガーター (therîgâtâ) 【 一なるものの集まり 】

一なるものの集まり

1
長老尼よ、ぼろ布で〔衣を〕作って、〔それを〕着た者となり、安楽に眠れ。まさに、おまえの貪り〔の思い〕は、釜のなかの乾いた菜のように、寂静なるもの。
 まさに、このように、或る、〔名の〕知れない長老比丘尼は、詩偈を語った。
2
ムッター(人名)よ、ラーフ(阿修羅の一類で日蝕や月蝕を引き起こすとされる)に補足された月が〔その捕捉から解き放たれる〕ように、諸々の束縛から解脱せよ。解脱した心によって、借りなき者となり、〔行乞の〕食を受けよ。
 まさに、このように、世尊は、この詩偈によって、学びつつあるムッターを教え諭す。
3
プンナー(人名)よ、諸々の法(教え)によって、十五〔夜〕の月のように、満たされよ。完成された知慧(般若・慧)によって、闇の集塊[かたまり]を破れ。
 プンナーは〔語った〕。
4
ティッサー(人名)よ、〔三つの〕学び(戒・定・慧の三学)によって、学べ。諸々の束縛が、おまえを超え行くことがあってはならない。一切の束縛について束縛から離れた者となり、煩悩(漏)なき者として、世を歩め。
 ティッサーは〔語った〕。
5
ティッサー(人名)よ、諸々の法(教え)に専念せよ。瞬時であろうが、おまえを超え行くことがあってはならない(瞬時でさえも、虚しく過ごしてはならない)。まさに、瞬時であろうが〔虚しく〕過ごした者たちは、地獄に引き渡され、憂い悲しむことになる。
 或る、ティッサーは〔語った〕。
6
ディーラー(人名)よ、止滅〔の境地〕を、表象作用(想:認識対象を表象し概念化する働き)の寂止という安楽〔の境地〕を、体得せよ。涅槃〔の境地〕を、束縛からの〔心の〕平安という無上〔の境地〕を、達成せよ。
 ディーラーは〔語った〕。
7
ディーラー(人名)よ、諸々の慧ある法(教え)によって、〔感官〕機能(根)が修められた比丘尼となり、軍勢を有する悪魔に勝利して、最後の肉身[からだ]を保て。
 或る、ディーラーは〔語った〕。
8
ミッター(人名)よ、信によって出家して、〔善き〕朋友たることに喜びある者と成れ。束縛からの〔心の〕平安を得るため、諸々の善なる法(教え)を修めよ。
 ミッターは〔語った〕。
9
バドラー(人名)よ、信によって出家して、幸いなることに喜びある者と成れ。諸々の善なる法(教え)を、束縛からの〔心の〕平安という無上〔の境地〕を、修めよ。
 バドラーは〔語った〕。
10
ウパサマー(人名)よ、死魔の領域である、極めて超え難い、〔貪欲の〕激流を超え渡るのだ。軍勢を有する悪魔に勝利して、最後の肉身を保て。
 ウパサマーは〔語った〕。
11
善きかな、善く解き放たれた。三つの曲がったものから解き放たれることで、〔わたしは〕解き放たれた者として、〔世に〕存している。〔わたしは〕臼と杵と夫という曲がったものから〔解き放たれた者として〕、さらには、生と死から解き放たれた者として、〔世に〕存している。〔迷いの〕生存(有)へと導くもの(煩悩)は完破された。
 ムッターは〔語った〕。
12
終滅(涅槃の境地)にたいする欲〔の思い〕(意欲)が生じ、なおかつ、〔その〕意[おもい]に満たされた者として存するように。諸々の欲望〔の対象〕にたいし、心が縛られない者は、「上流にある者(欲界を離れた者)」と呼ばれる。
 ダンマ・ディンナーは〔語った〕。
13
為して苦しまないところの、覚者(ブッダ)の教えを為せ。すみやかに、〔両の〕足を洗い清めて、一方に坐せ。
 ヴィサーカーは〔語った〕。
14
〔十八の認識の〕界(十八界)を「苦しみである」と見て、〔迷いの〕生が、ふたたび帰り来ることがあってはならない。〔迷いの〕生存にたいする欲〔の思い〕を離染して、〔おまえは〕寂静の者として〔世を〕歩むであろう。
 スマナーは〔語った〕。
15
身体[からだ]によって統御された者として、言葉によって、あるいは、心によって〔統御された者として〕、〔わたしは〕存していた。〔いまや〕渇愛を根ごと引き抜いて、〔心が〕冷静[おだやか]に成った〔わたし〕は、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 ウッタラーは〔語った〕。
16
年老いた者よ、おまえは、ぼろ布で〔衣を〕作って、〔それを〕着た者となり、安楽に臥せ。まさに、おまえの貪り〔の思い〕は、寂静なるもの。〔心が〕冷静[おだやか]に成った〔わたし〕は、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 年老いて出家したスマナーは〔語った〕。
17
力弱く、棒(杖)に頼って、〔行乞の〕食鉢(托鉢行)を歩むが、四肢は揺れ動き、まさしく、そこで、〔わたしは〕地に落ちた。身体について、〔この〕危険を見て、わたしの心は解脱した。
 ダンマーは〔語った〕。
18
家々を捨てて、出家して、子供と家畜と愛しい者を捨てて、貪りと怒りとを捨てて、また、無明を離染させて、渇愛を根ごと引き抜いて、〔わたしは〕寂静の者となり、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 サンガーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 二なるものの集まり 】


二なるものの集まり

19
ナンダー(人名)よ、病んで、腐った、不浄の積身[おだやか]を見よ。〔身体について〕美しくない〔とする想い〕(不浄想)によって、一境に善く定められた心を習い修めよ。
20
また、無相〔の想い〕を習い修めよ。高慢〔の思い〕という悪習(随眠)を廃棄せよ。それゆえに、高慢〔の思い〕が寂止するがゆえに、〔おまえは〕寂静の者として、〔世を〕歩むであろう。
 まさに、このように、世尊は、これらの詩偈によって、学びつつあるナンダーを教え諭す。
21
これら、七つの覚りの支分(七覚支)という、涅槃〔の境地〕を得るための諸々の道――それらは、覚者(ブッダ)によって示されたとおりに、〔その〕全てが、わたしによって習い修められた。
22
まさに、わたしは、世尊である彼(ブッダ)に相見[まみ]えた。これが、最後の積身[からだ]である(死後、涅槃に行く)。生の輪廻は滅尽し、今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。
 ジェンティーは〔語った〕。
23
善く解き放たれた者よ、善きかな、善く解き放たれた。〔わたしは〕杵の〔束縛から〕解き放たれた者として、〔世に〕存している。わたしの、恥知らず〔の夫〕は、傘張り職人に〔劣り〕、あるいはまた、わたしにとって、鍋は、貧なる状態のものである、と〔知られた〕。
24
わたしは、貪りと怒りとを〔常に〕断ち切る者として、〔世に〕住む。その〔わたし〕は、木の根元に近づき行って、〔独り〕瞑想する――「ああ、安楽なのだ」と、安楽なるがゆえに。
 或る、〔名の〕知れない長老比丘尼は〔語った〕。
25
カーシー地方にあるかぎりの収入――〔娼婦である〕わたしには、それだけ〔の収入〕が有った。その〔収入〕について、町〔の者〕は評価を為し、〔その〕評価については、評価しえないものと、わたしを認定した。
26
しかして、わたしは、〔自らの〕形姿(色)について厭離し、さらに、わたしは、厭離〔の思い〕を離染した。繰り返し、さらなる生の輪廻を流転することがあってはならない。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は実証され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
 アッダカーシーは〔語った〕。
27
たとえ、何であれ、まさに、〔わたしが〕痩せ細り、病み、甚だしく力弱き者として〔世に〕存するとして、棒(杖)に頼り、山に登って、〔わたしは〕行く。
28
大衣を置き去りにして、さらには、〔行乞の〕鉢を伏せて、巌[いわお]のうえに自己を支えた――闇の集塊[かたまり]を破って。
 チッターは〔語った〕。
29
たとえ、何であれ、まさに、〔わたしが〕苦しみ、力弱く、若さが去った者として〔世に〕存するとして、棒(杖)に頼り、山に登って、〔わたしは〕行く。
30
大衣を置き去りにして、さらには、〔行乞の〕鉢を伏せて、しかして、〔わたしは〕巌[いわお]のうえに坐した者として存し、そして、わたしの心は解脱した。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
 メッティカーは〔語った〕。
31
半月〔ごと〕の十四〔日〕と十五〔日〕に、第八〔日〕に、さらには、半月のうちの特別な〔日〕(七日・九日・十三日・一日)には、八つの支分が見事に集まった〔完全無欠の〕斎戒(布薩)へと近づき行った――天の身体を喜ぶ者として。
32
その〔わたし〕が、今日、一食で〔身を保ち〕、剃髪し、大衣を着た者となり、心のうちの懊悩を取り除いて、わたしは、〔もはや〕天の身体を望みはしない。
 ミッターは〔語った〕。
33
〔子が言った〕「母よ、足裏から上に、もしくは、頭髪から下に、この身体を、不浄で、腐臭あるものと観察してください」〔と〕。
34
〔母は答えた〕「このように住している者にとって、一切の貪り〔の思い〕は完破された。苦悶〔の思い〕は断絶され、〔心が〕冷静[おだやか]に成った〔わたし〕は、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している」〔と〕。
 アバヤの母は〔語った〕。
35
アバヤー(人名)よ、〔この〕身体は、壊れるもの――そこにおいて、凡夫たちは執着する。正知と気づきの者は、この肉身[からだ]を置き去りにするであろう。
36
苦しみの法(もの・こと)が多きゆえに、怠らないこと(不放逸)に喜びある者、わたしによって、渇愛の滅尽は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
 アバヤー長老尼は〔語った〕。
37
心の寂静を得ずして、心について自在に転じ行くことなき〔わたし〕は、四回、五回と、精舎から出て行った。
38
そのわたしであるが、第八夜に、わたしの渇愛は完破された。苦しみの法(もの・こと)が多きゆえに、怠らないこと(不放逸)に喜びある者、わたしによって、渇愛の滅尽は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
 サーマーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 三なるものの集まり 】


三なるものの集まり

39
わたしが出家してから二十五年になるが、いついかなる時であれ、心の静かさを得たと証知することがない。
40
心の寂静を得ずして、心について自在に転じ行くことなき〔わたし〕は、そののち、勝者(ブッダ)の教えを思念して、畏怖〔の念〕(回心の思い)を体験した。
41
苦しみの法(もの・こと)が多きゆえに、怠らないこと(不放逸)に喜びある者、わたしによって、渇愛の滅尽は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。渇愛〔の思い〕が干上がってから、わたしにとって、今日は、第七夜となる。
 或る、サーマーは〔語った〕。
42
心の寂静を得ずして、心について自在に転じ行くことなき〔わたし〕は、四回、五回と、精舎から出て行った。
43
わたしにとって信にたる者として有った、その比丘尼のところへと、〔わたしは〕近づき行った。彼女は、わたしに法(真理)を示した――〔心身を構成する五つの〕集塊[あつまり](五蘊)と〔十二の認識の〕場所(十二処)と〔十八の認識の〕界(十八界)〔という諸々の法〕を。
44
彼女がわたしに教えてくれたとおりの、彼女の法(教え)を聞いて、わたしは、七〔日〕のあいだ、喜と楽〔の境地〕に引き渡された者として、独り、結跏し、坐した。第八〔日〕に、〔両の〕足を伸ばした――闇の集塊[かたまり]を破って。
 ウッタマーは〔語った〕。
45
これら、七つの覚りの支分(七覚支)という、涅槃〔の境地〕を得るための諸々の道――それらは、覚者(ブッダ)によって示されたとおりに、〔その〕全てが、わたしによって習い修められた。
46
求めていたところの、空と無相〔の境地〕を得る者として、わたしは、覚者(ブッダ)の正嫡の娘であり、常に、涅槃〔の境地〕に喜びある者である。
47
諸天のものであれ、あるいは、人間たちのものであれ、一切の欲望〔の対象〕は断絶された。生の輪廻は滅尽し、今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。
 或る、ウッタマーは〔語った〕。
48
ギッジャクータ山(霊樹山)において、昼住(昼の休息)から出て、〔わたしは〕川岸で象が〔水に〕入っては出るのを見た。
49
男が鉤を取って、「足を差し出せ」と命じる。象は、足を伸ばし、男は、象に登った。
50
調御されてない〔象〕が調御され、人間たちの支配が行き及んだのを見て、それゆえに、〔わたしは〕心を定め、まさに、そのために、林に行った。
 ダンティカーは〔語った〕。
51
〔世尊が言った〕「母よ、〔あなたは〕林のなかで、『ジーヴァー(人名)よ』と泣き叫びます。ウッビリー(人名)よ、自己に到達しなさい。全てで八万四千の、『ジーヴァー』という名を有する者たちが、この火葬場で焼かれました。それらの者たちの誰を、〔あなたは〕憂い悲しむというのですか」〔と〕。
52
〔ジーヴァーの母は答えた〕「まさに、わたしの、心を依り所とする、〔凡夫には〕見難き矢を、〔あなたは〕引き抜いてくれました。憂い悲しみに打ち負かされたわたしのために、娘〔の死〕の憂い悲しみを、〔あなたは〕除き去ってくれたのです。
53
その〔わたし〕は、今日、矢が引き抜かれた無欲の者となり、完全なる涅槃に到達した者として〔存しています〕。覚者(仏:ブッダ)と法(法:教え)と僧団(僧:サンガ)へと、牟尼という帰依所へと、〔わたしは〕近づき行きます(仏法僧の三宝に帰依する)」〔と〕。
 ウッビリーは〔語った〕。
54
覚者(ブッダ)の教えを示すスッカー(人名)に近侍しないとは、ラージャガハ(地名・王舎城)において、〔迷える〕人間たちがわたしに為したことは、何なのだろう。〔彼らは〕蜜を飲んだ者たちのように、〔ただ〕坐っている。
55
〔わたしは〕思う「しかしながら、遮るものなく、混ざりものなしの、その甘露(覚者の教え)を、〔待ち望んだ〕雷雲〔の水〕を旅行く者(遊行者)たちが〔飲み干す〕ように、知慧を有する者たちは飲む」〔と〕。
56
スッカーは、諸々の白き法(教え)によって、貪りを離れ、〔心が〕定められた。軍勢を有する悪魔に勝利して、最後の肉身[からだ]を保て。
 スッカーは〔語った〕。
57
〔悪魔が言った〕「世に、出離は存在しない。遠離によって、〔おまえは〕何を為すというのだろう。欲望〔の対象〕による喜悦を享受しなさい。のちに、悩み苦しむ者と成ってはならない」〔と〕。
58
〔長老尼は答えた〕「諸々の欲望〔の対象〕は、刃と槍の如きもの。〔心身を構成する〕諸々の集塊(蘊)にとっての断頭台である。おまえは、欲望〔の対象〕による喜悦を説くが、今や、それは、わたしにとって、不満なるもの。
59
一切所で、喜び〔の思い〕は打破された。闇の集塊[かたまり]は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは、打ち倒された者として存している」〔と〕。
 セーラーは〔語った〕。
60
〔悪魔が言った〕「聖賢たちによって得られるべき、その状況は、征服し難きもの。二指の知慧なる女たちには、それを得ることができない」〔と〕。
61
〔長老尼は答えた〕「心が善く定められ、知恵が転じ行くとき、正しく法(もの・こと)を観ている者にとって、女として〔世に〕有ることが、いったい、何を為すというのだろう(何の妨げにもならない)。
62
一切所で、喜び〔の思い〕は打破された。闇の集塊は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは、打ち倒された者として存している」〔と〕。
 ソーマーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 四なるものの集まり 】


四なるものの集まり

63
覚者(ブッダ)の子にして相続者たるカッサパ(人名・迦葉:ブッダの高弟)は、〔心が〕善く定められた者である。過去(前世)の居住[いきざま]を知った者、そして、〔死後に赴く〕天上と苦境(地獄)を〔両者ともに〕見る者――
64
しかして、生の滅尽を得た、証知の完成者たる牟尼(沈黙の聖者)は、これらの三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)によって、三つの明知ある婆羅門と成る。
65
まさしく、そのように、バッダー・カピラーニー(人名)は、三つの明知(三明)ある者であり、死を捨て去る者である。軍勢を有する悪魔に勝利して、最後の肉身を保つ(死後、涅槃に行く)。
66
世における危険を見て、わたしたち両者は出家した。かくのごとく、煩悩が滅尽した〔わたしたち〕は、調御者として、〔世に〕存している。〔心が〕冷静[おだやか]に成った〔わたしたち〕は、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 バッダー・カピラーニーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 五なるものの集まり 】


五なるものの集まり

67
わたしが出家してからのち、二十五年になるが、指を弾く間ばかりでさえも、心の寂静に到達しなかった。
68
心の寂静を得ずして、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕で〔煩悩が〕漏れ出たわたしは、腕を突き上げて、泣きながら精舎に入った。
69
わたしにとって信にたる者として有った、その比丘尼のところへと、〔わたしは〕近づき行った。彼女は、わたしに法(真理)を示した――〔心身を構成する五つの〕集塊[あつまり](五蘊)と〔十二の認識の〕場所(十二処)と〔十八の認識の〕界(十八界)〔という諸々の法〕を。
70
彼女の法(教え)を聞いて、〔わたしは〕一方に近坐した。〔わたしは〕過去(前世)の居住[いきざま]を知る(宿命通)。天眼は清められた(天眼通)。
71
〔他者の〕心を知る知恵がある(他心通)。また、耳界(聴覚)は清められた(天耳通)。わたしによって、神通もまた、実証された(神足通)。わたしによって、煩悩の滅尽は得られた(漏尽通)。わたしによって、〔これらの〕六つの神知(六神通)は実証され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
 或る、〔名の〕知れない比丘尼は〔語った〕。
72
〔自らの〕容貌と形姿と栄光に〔驕慢し〕、そして、名声に驕慢した〔わたし〕は――しかして、〔自らの〕若さに支えられたわたしは――他者たちを軽んじた。
73
愚者が言い寄る、この身体を、種々様々に飾り立てて、〔わたしは〕娼家の門に立った――罠を仕掛けて〔獲物を待つ〕猟師のように。
74
密やかに、〔あるいは〕明らかに、多くの装身具を見せながら、〔わたしは〕種々なる類[たぐい]の幻想[ごまかし]を為した――多くの人を嘲笑しつつ。
75
その〔わたし〕が、今日、〔行乞の〕食を行じおこなって(托鉢して)、剃髪し、大衣を着た者となり、木の根元に坐している――思考なき〔境地〕を得る者として。
76
諸天のものであれ、あるいは、人間たちのものであれ、一切の束縛は断絶された。一切の煩悩を投棄して、〔心が〕冷静に成った〔わたし〕は、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 遊女の過去あるヴィマラーは〔語った〕。
77
根源[あり]のままに意[おもい]を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)なきがゆえに、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に苦悩する〔わたし〕は、かつて、〔心が〕浮ついている者として、心について自在に転じ行くことなき者として、〔世に〕有った。
78
諸々の汚れ(煩悩)に遍く取り囲まれ、安楽の想い(想:認識対象を表象し概念化する働き)に〔心が〕転じ行く〔わたし〕は、貪欲心の支配に従い行く者であり、心の静かさを得なかった。
79
痩せ細り、青ざめ、色艶は衰え、しかして、七年のあいだ、わたしは〔道を〕歩んだ(放浪した)。わたしは、昼であろうと、夜であろうと、極めて苦悩し、安楽を知らなかった。
80
それから、〔わたしは〕縄を掴んで、林の外れに入った。「しかして、ふたたび、下劣なことを行じおこなうというのなら、ここで〔首を〕吊るのが、わたしにとって優れている」〔と〕。
81
〔わたしは〕堅固な〔死の〕罠を作り、木の枝に縛って、首に〔その〕罠を置き、しかして、わたしの心は解脱した。
 シーハーは〔語った〕。
82
〔世尊は言った〕「ナンダー(人名)よ、病んで、腐った、不浄の積身[からだ]を見よ。〔身体について〕美しくない〔とする想い〕(不浄想)によって、一境に善く定められた心を習い修めよ。
83
この〔身体〕が〔そうである〕ように、そのように、この〔死体〕は〔存していた〕。この〔死体〕が〔そうである〕ように、そのように、この〔身体〕は〔成るだろう〕。〔この身体は〕腐った悪臭をはなち、愚者たちの喜ぶところである」〔と〕。
84
このように、昼夜に休みなく、この〔身体〕を観察しつつ、そののち、〔わたしは〕自らの知慧によって、〔身体について〕厭い離れて、〔あるがままに〕見た。
85
そのわたしによって、〔気づきを〕怠らず根源[あり]のままに弁別する者によって、この身体は、内外ともに、有るがままに見られた。
86
しかして、わたしは、身体について厭離した。そして、わたしは、内に離染した。〔気づきを〕怠らず、束縛を離れた〔わたし〕は、寂静の者となり、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 ナンダーは〔語った〕。
87
わたしは、火と月と日と天を礼拝した。わたしは、川の沐浴場に行って、水場へと降り行く。
88
〔わたしは〕多くの掟を受持する者として、頭の半分を剃り落とした。〔わたしは〕地に臥〔具〕を設ける。わたしは、夜の食を食べなかった。
89
また、諸々の沐浴や塗身によって〔自らを〕飾り飾り立て装うことを喜び、この身体を大切にしてきた――欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に苦悩して。
90
そののち、信を得て、〔家から〕家なきへと出家した。有るがままに〔この〕身体を見て、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕は完破された。
91
一切の生存は断絶された。欲求も、切望もまた〔断絶された〕。一切の束縛について束縛を離れた〔わたし〕は、心の寂静を得た。
 ナンドゥッタラーは〔語った〕。
92
わたしは、信によって家から家なきへと出家したが、〔他者からの〕利得と尊敬〔の思い〕に貪りある者として、そこかしこを渡り歩いた。
93
わたしは、最高の義(勝義:涅槃の境地)を捨てて、下劣な義(目的)に慣れ親しんだ。諸々の汚れ(煩悩)の支配に赴いて、わたしは、沙門の資質という義(目的)を放り出した。
94
精舎で坐していた、そのわたしに、畏怖〔の念〕(回心の思い)が有った。「邪道の実践者として、渇愛の支配に帰り来た者として、〔わたしは〕存している」〔と〕。
95
わたしの命は、僅かである。老と病が、〔わたしを〕踏みにじる。この身体が朽ち果てる前に、わたしに、怠るための時はない。
96
〔心身を構成する〕諸々の集塊[あつまり](蘊)の生滅を有るがままに熟視する者として、心が解脱した者として、〔わたしは〕奮起した。覚者(ブッダ)の教えは為された。
 ミッタカーリーは〔語った〕。
97
家に住むわたしは、比丘の法(教え)を聞いて、〔世俗の〕塵を離れた法(教え)を、不死なる涅槃の境地を、見た。
98
そして、わたしは、あるいは、子と娘を、あるいは、財産と穀物を、捨て放った。〔わたしは〕髪を断ち切らせて、〔家から〕家なきへと出家した。
99
〔いまだ〕学びつつあるわたしは、寂静〔の境地〕を、曲がりなき道を、習い修めながら、あるいは、貪りと怒りを、あるいは、それらとともに起こる諸々の煩悩を、捨て去った。
100
比丘尼となり、〔戒を〕成就して、過去(前世)の生を思念した(想起した)。天眼は清められた。善きかな、〔世俗の〕垢を離れた〔境地〕は習い修められた。
101
諸々の形成作用〔によって作られたもの〕(諸行:現象世界)を、因から生じた諸々の壊れ崩れる諸々のものを、「他者である(自己ではない)」と見て、〔わたしは〕一切の煩悩を捨て去った。〔心が〕冷静[おだやか]に成った〔わたし〕は、涅槃に到達した者として、〔世に〕存している。
 サクラーは〔語った〕。
102
この、形態[かたち]ある積身[からだ]において、十子を産んで、そののち、わたしは、力衰え、老い朽ちた者となり、〔或る〕比丘尼のところへと近しく赴いた。
103
彼女は、わたしに法(真理)を示した――〔心身を構成する五つの〕集塊[あつまり](五蘊)と〔十二の認識の〕場所(十二処)と〔十八の認識の〕界(十八界)〔という諸々の法〕を。彼女の法(教え)を聞いて、〔わたしは〕髪を断って、出家した。
104
〔いまだ〕学びつつある、そのわたしの、天眼は清められた。〔わたしは〕知る――かつて、わたしが住した所である、過去(前世)の居住[いきざま]を。
105
また、一境に〔心が〕善く定められた〔わたし〕は、無相〔の想い〕を習い修める。〔わたしは〕無間[むけん]の解脱ある者となり、〔一切を〕執取せずして、涅槃に到達した者として、〔世に〕存した。
106
〔心身を構成する〕五つの集塊(五蘊:物質的形態・感受作用・表象作用・形成作用・識別作用)は知り尽くされ、根元から断たれたものとして安立している。〔生存の〕根拠から生まれたもの(迷いの生存にたいする欲の思い)が安立し(止み静まり)、〔心に〕動揺なき者として、〔わたしは〕存している。今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。
 ソーナーは〔語った〕。
107
〔わたしは〕髪を刈り、泥を〔身に〕保ち、一衣の者となり、かつて、〔道を〕歩んだ――罪なき者について罪ありと思い、さらには、罪ある者について罪なきと見る者として。
108
ギッジャクータ山(霊樹山)において、昼住(昼の休息)から出て、〔わたしは〕比丘の僧団の尊ぶところの方である覚者(ブッダ)を、〔世俗の〕垢を離れた方を、見た。
109
膝を付き、〔両の足を〕敬拝して、〔覚者の〕面前にて、合掌するわたしであるが、〔覚者は〕「バッダー(人名)よ、来たれ」と言ったが、それは、わたしにとって、〔戒の〕成就として存した。
110
アンガ〔国〕と、マガダ〔国〕、ヴァジ〔国〕、カーシー〔国〕と、コーサラ〔国〕が、〔わたしの〕歩むところであった。借りなき者として、五十年のあいだ、わたしは、国土において〔行乞の〕食を受けた。
111
一切の香りから解き放たれたバッダーに衣料を施した者――しかして、知慧を有する、まさに、この在俗の信者(優婆塞)は、多くの功徳を生んだ。
 ニガンティー(ジャイナ教徒)の過去あるバッダーは〔語った〕。
112
諸々の鋤で田畑を耕す者がいれば、諸々の種を大地に蒔く者がいる。若者たちは、子と妻を養いながら、財を見出す。
113
戒を成就したわたしが、教師(ブッダ)の教えを為す者が、どうして、涅槃に到達しないというのだろう――〔心が〕浮つかず、怠惰ならざる者が。
114
〔両の〕足を洗って、わたしは、まさに、諸々の水を為す(汚れを洗い流す)。しかして、足の水が高きから低きへと流れ来るのを見て、そののち、〔わたしは〕心を定めた――善き生まれの賢馬を〔調御する〕ように。
115
それから、わたしは、灯明[あかり]を掴んで、精舎に入った。臥〔所〕を調べて、寝床に近坐した。
116
それから、わたしは、針を掴んで、灯芯を引き下ろした。灯明の消え行くように、心の解脱が有った。
 パターチャーラーは〔語った〕。
117
〔女たちに、長老尼が言った〕「若者たちは、諸々の杵を掴んで、穀物を打つ。若者たちは、子と妻を養いながら、財を見出す。
118
為して苦しまないところの、覚者(ブッダ)の教えを為せ。すみやかに、〔両の〕足を洗い清めて、一方に坐せ。心の寂止に専念した者となり、覚者(ブッダ)の教えを為せ」〔と〕。
119
彼女の言葉を聞いて、わたしは、パターチャーラー(人名)の教示を〔為す者となり〕、彼女たちは、〔両の〕足を洗って、一方に近坐した。〔彼女たちは〕心の寂止に専念した者となり、覚者(ブッダ)の教えを為した。
120
〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の最初において、〔彼女たちは〕過去(前世)の生を思念した(想起した)。〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の中間において、〔彼女たちは〕天眼を清めた。〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の最後において、〔彼女たちは〕闇の集塊[かたまり]を破った。
121
〔彼女たちは〕立ち上がって、〔パターチャーラーの両の〕足を敬拝した。「あなたの教示は為されました。戦場において敗者ならざるインダ(インドラ神)を三十〔三〕天〔の神々〕たちが〔尊ぶ〕ように、〔あなたを〕尊んで住むでありましょう。〔わたしたちは〕三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)ある者として、煩悩なき者として、〔世に〕存しています」〔と〕。
 これら、三十ばかりの長老比丘尼たちは、パターチャーラーの現前において、これら〔の詩偈〕を、他者に説き示した。
122
かつて、わたしは、悪しき境遇の者として、また、寡婦として、子なき者として、〔世に〕存した。朋友たちや親族たちとは別れ別れとなり、〔十分な〕食や〔身に付ける〕ぼろ布には到達しなかった。
123
鉢と棒を掴んで、家から家へと行乞しながら、しかして、寒さに〔悩まされ〕暑さに焼かれつつ、七年のあいだ、わたしは歩んだ。
124
いっぽう、〔わたしは〕食べ物と飲み物を得る比丘尼を見て、近しく赴いて言った。「〔家から〕家なきへと、〔わたしは〕出家したのです」〔と〕。
125
かのパターチャーラー(人名)は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしを〔僧団において〕出家させた。それから、わたしを教え諭して、最高の義(勝義:涅槃の境地)へと駆り立てた。
126
彼女の言葉を聞いて、わたしは、〔その〕教示を為した。貴婦(大姉)の教諭は、無駄ではない。〔わたしは〕三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)ある者として、煩悩なき者として、〔世に〕存している。
 チャンダーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 六なるものの集まり 】


六なるものの集まり

127
〔弟子に、長老尼が言った〕「彼がやってきた道を、あるいは、去って行った〔道〕を、〔あなたは〕知りません。どうして、〔知らざる所から〕やってきた、その子を、『わたしの子である』と、〔あなたは〕泣き叫ぶのですか。
128
しかしながら、まさに、彼がやってきた道を、あるいは、去って行った〔道〕を、〔あなたが〕知るなら、〔あなたは〕彼を憂い悲しまなかったのです。生ある者には、まさに、このように、諸々の法(性質)があります。
129
〔彼は〕乞われることなく、そこからやってきたのです。〔彼は〕許されることなく、ここから去って行ったのです。どこからかやってきて、たとえ、まちがいなく、数日間は住んでいたとして。
130
また、ここから他〔の道〕によってやってきた者は、そこから他〔の道〕によって去って行きます。亡者は、人間という形態(色)でもって輪廻しつつ、去って行くでありましょう。やってきたとおり、そのように、〔彼は〕去って行ったのです。そこに、何の嘆き悲しみがあるというのでしょう」〔と〕。
131
〔弟子は答えた〕「まさに、わたしの、心を依り所とする、〔凡夫には〕見難き矢を、〔あなたは〕引き抜いてくれました。憂い悲しみに打ち負かされたわたしのために、子〔の死〕の憂い悲しみを、〔あなたは〕除き去ってくれたのです。
132
その〔わたし〕は、今日、矢が引き抜かれた無欲の者となり、完全なる涅槃に到達した者として〔存しています〕。覚者(仏:ブッダ)と法(法:教え)と僧団(僧:サンガ)へと、牟尼という帰依所へと、〔わたしは〕近づき行きます(仏法僧の三宝に帰依する)」〔と〕。
 パターチャーラーの五百〔の弟子〕は〔語った〕。
133
わたしは、子〔の死〕の憂い悲しみによって、苦悩し、放心の者となり、想いが離れた者として、〔世に有った〕。わたしは、裸で、さらには、髪を振り乱して、そこかしこを渡り歩いた。
134
道々の塵芥場[ごみすてば]において、墓場において、そして、諸々の道において、飢えと渇きに引き渡された者として、三年のあいだ、〔わたしは〕歩んだ。
135
しかして、〔わたしは〕ミティラ(地名)の城市へと赴いた善き至達者(ブッダ)を見た――調御されざる者たちの調御者を――何ものも恐れない正覚者(ブッダ)を。
136
〔わたしは〕自らの心を得て(正気を取り戻して)、〔覚者を〕敬拝して、近坐した。彼は、ゴータマ(ブッダ)は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしに法(教え)を示した。
137
彼の法(教え)を聞いて、〔わたしは、家から〕家なきへと出家した。教師(ブッダ)の言葉に専念する者となり、〔わたしは〕至福の境地を実証した。
138
一切の憂いは断たれ、捨てられ、これを終極としている。それあるがゆえに、諸々の憂いの生起がある、〔迷いの生存の〕諸々の根拠は、わたしによって、まさに、知り尽くされた。
 ヴァーシッティーは〔語った〕。
139
〔悪魔が言った〕「あなたは、青年で、〔良き〕形姿ある者(美人)です。わたしもまた、青年で、若き者です。ケーマー(人名)さん、さあ、五つの支分ある楽器で、〔わたしたちは〕喜び楽しむのです」〔と〕。
140
〔長老尼は答えた〕「病み、壊れ崩れる、この、腐った身体によって、〔わたしは〕苦悩し、〔自らを〕咎めるのだ。諸々の欲望〔の対象〕にたいする渇愛〔の思い〕は完破された。
141
諸々の欲望〔の対象〕は、刃と槍の如きもの。〔心身を構成する〕諸々の集塊(蘊)にとっての断頭台である。おまえは、欲望〔の対象〕による喜悦を説くが、今や、それは、わたしにとって、不満なるもの。
142
一切所で、喜び〔の思い〕は打破された。闇の集塊は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは、打ち倒された者として存している。
143
諸々の星宿を礼拝している者たちがいれば、林のなかで火(アグニ神)に奉仕している者がいる。愚者たちよ、〔あなたたちは〕有るがままに知ることなく、〔それらを〕清浄と思いなした。
144
しかしながら、わたしは、まさに、最上の人たる正覚者(ブッダ)を礼拝しながら、教師の教えを為す者として、一切の苦しみから完全に解き放たれた。
 ケーマーは〔語った〕。
145
〔見てくれを〕十分に作り為し、美しい衣をまとい、花飾りをして、〔身に〕栴檀を振りまき、全ての装飾品で覆われた〔わたし〕は、侍女の群れに尊ばれていた。
146
食べ物と飲み物、そして、少なからざる硬い食料と軟い食料を取って、〔わたしは〕家を出て、園地へと〔歩を〕運んだ。
147
そこにおいて、喜び楽しみ、遊び戯れて、自らの家へと帰りつつ、〔覚者の〕精舎を見た。〔わたしは〕サーケータ(地名)にあるアンジャナ林に入った。
148
〔わたしは〕世の灯火(ブッダ)を見て、〔覚者を〕敬拝して、近坐した。彼は、眼[まなこ]ある方(ブッダ)は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしに法(教え)を示した。
149
しかして、わたしは、まさに、偉大なる聖賢の〔言葉を〕聞いて、真理を理解した。まさしく、そこにおいて、〔世俗の〕塵を離れた法(真理)を、不死の境地を、体得した。
150
そののち、正なる法(真理)を識知した〔わたし〕は、〔家から〕家なきへと出家した。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得された。覚者(ブッダ)の教えは無駄ではない。
 スジャーターは〔語った〕。
151
多くの富と大いなる財ある、高貴の家に生まれたわたしは、容貌と形姿を成就し、マッジャ(人名)の実の娘である。
152
〔わたしは〕王の子たちに切望され、長者の子たちに貪求された。〔彼らは〕わたしの父に使者を送った――「アノーパマー(人名)を、わたしに与えよ。
153
あなたの娘である、このアノーパマーが計量されたぶんの、それより八倍〔の重さ〕の黄金と財宝を、〔あなたに〕与えよう」〔と〕。
154
そして、わたしは、世の最尊者たる無上の覚者(ブッダ)を見て、彼の〔両の〕足を敬拝して、一方に近坐した。
155
彼は、ゴータマ(ブッダ)は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしに法(教え)を示した。坐した〔わたし〕は、その坐において、第三の果(不還果)を体得した。
156
そののち、〔わたしは〕髪を断って、〔家から〕家なきへと出家した。渇愛〔の思い〕が干上がってから、わたしにとって、今日は、その第七夜となる。
 アノーパマーは〔語った〕。
157
覚者(ブッダ)よ、勇者よ、一切有情のなかの最上者よ、あなたに、礼拝が存せ(わたしは、あなたを礼拝する)。わたしを、そして、他の多くの人を、〔あなたは〕苦しみから解き放つ。
158
一切の苦しみは知り尽くされ、〔苦しみの〕原因である渇愛〔の思い〕は干上がった。八つの支分からなる聖なる道(八正道)は、止滅〔の境地〕は、わたしによって体得された。
159
過去〔の生〕において、〔わたしは〕母として、子として、父として、兄弟として、さらには、祖母として、〔世に〕有った。有るがままに知ることなく、〔何も〕見出すことなく、わたしは輪廻してきた。
160
まさに、わたしによって、世尊である彼(ブッダ)は見られた。これが、最後の積身[からだ]である。生の輪廻は滅尽し、今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。
161
精進に励み、自己を精励し、常に断固たる努力の、和合者たる弟子たちを見よ。これが、覚者たちへの敬拝である。
162
まさに、多くの者たちの義(利益)のため、マーヤー(人名:ブッダの母)は、ゴータマ(ブッダ)を生んだ。病と死に刺し貫かれた者たちのため、苦しみの集塊[かたまり](苦蘊:苦しみとして分類される諸々の事象)を除き去った。
 マハー・パジャーパティーは〔語った〕。
163
グッター(人名)よ、子供と〔虚妄の〕積身[からだ]を捨てて、〔真実の〕義(目的)へと出家したところの、まさしく、その〔義〕を増大せしめよ。心の支配へと赴いてはならない。
164
〔迷える〕心に騙された有情たちは、悪魔の境域のうちに喜びある者たちである。無知なる者たちは、無数なる生の輪廻を流転する。
165
欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕と、加害〔の思い〕、まさしく、身体が有るという見解(有身見)と、戒や掟に執着すること、第五に、疑い〔の思い〕とを――
166
〔人を〕此岸の域へと導く、これらの束縛を捨てて、比丘尼よ、ふたたび、この〔世〕に帰り行くことはないであろう。
167
貪欲、高慢、そして、無明、さらには、〔心の〕浮つきを避けて、諸々の束縛を断って、〔おまえは〕苦しみの終極を為すであろう。
168
生の輪廻を投棄して、さらなる〔迷いの〕生存を遍知して、まさしく、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において、無欲の者となり、寂静の者として、〔世を〕歩むであろう。
 グッターは〔語った〕。
169
心の寂静を得ずして、心について自在に転じ行くことなき〔わたし〕は、四回、五回と、精舎から出て行った。
170
わたしは、〔或る〕比丘尼のところへと近しく赴いて、恭しくも遍く問い尋ねた。彼女は、わたしに法(真理)を示した――すなわち、〔十八の認識の〕界(十八界)と〔十二の認識の〕場所(十二処)〔という諸々の法〕を。
171
四つの聖なる真理(四聖諦)、〔五つの〕機能(五根)、および、〔五つの〕力(五力)、最上の義(目的)を得るための〔七つの〕覚りの支分(七覚支)と八つの支分からなる〔聖なる〕道(八正道)〔という諸々の法〕を。
172
彼女の言葉を聞いて、わたしは、〔その〕教示を為す者となり、〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の最初において、過去(前世)の生を思念した(想起した)。
173
〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の中間において、天眼を清めた。〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の最後において、闇の集塊を破った。
174
しかして、そのとき、〔瞑想の境地がもたらす〕喜と楽によって身体を満たして住した。第七〔日〕に、〔両の〕足を伸ばす――闇の集塊を破って。
 ヴィジャヤーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 七なるものの集まり 】


七なるものの集まり

175
〔長老尼が言った〕「若者たちは、諸々の杵を掴んで、穀物を打つ。若者たちは、子と妻を養いながら、財を見出す。
176
為して苦しまないところの、覚者(ブッダ)の教えに勤めよ。すみやかに、〔両の〕足を洗い清めて、一方に坐せ。
177
一境に善く定められた心を起こして、諸々の形成作用〔によって作られたもの〕(諸行:現象世界)を、『他者である』と、さらには、『自己ではない』と、〔あるがままに〕観察せよ」〔と〕。
178
彼女の言葉を聞いて、わたしは、パターチャーラー(人名)の教示を〔為す者となり〕、〔両の〕足を洗って、一方に近坐した。
179
〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の最初において、〔わたしは〕過去(前世)の生を思念した(想起した)。〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の中間において、〔わたしは〕天眼を清めた。
180
〔その〕夜の、〔三つの〕夜の区分の最後において、〔わたしは〕闇の集塊を破った。しかして、三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)ある者となり、〔わたしは〕立ち上がる。あなたの教示は為された。
181
戦場において敗者ならざる帝釈〔天〕を三十〔三〕天〔の神々〕たちが〔尊ぶ〕ように、〔あなたを〕尊んで住むであろう。〔わたしは〕三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)ある者として、煩悩なき者として、〔世に〕存している。
 ウッタラーは〔語った〕。
182
気づき(念)を起こして、〔感官〕機能(根)を修めた比丘尼として、〔わたしは〕寂静の境地を理解した――形成作用(行:生の輪廻を施設し造作する働き)の寂止という、安楽〔の境地〕を。
183
〔悪魔が言った〕「いったい、誰を〔師と〕定めて、〔あなたは〕剃髪者として存しているのですか。〔あなたは〕沙門のように見えます。そして、〔あなたは〕異学の者たちを喜びません。迷愚なる〔あなた〕は、どうして、この〔道〕を歩むのですか」〔と〕。
184
〔長老尼は答えた〕「この〔道〕より外の異学の者たちは、〔特定の〕見解に依存ある者たちである。彼らは、法(真理)を識知しない。彼らは、法(真理)の熟知者ではない。
185
サキャ〔族〕の家に生まれた覚者(ブッダ)が、対する人なき方が、〔世に〕存在する。彼は、わたしに法(真理)を示した。諸々の見解を超え行く〔法〕を
186
〔すなわち〕苦しみと、苦しみの生起と、そして、苦しみの超越と、苦しみの寂止へと至る八つの支分からなる聖なる道(八正道)を。
187
彼の言葉を聞いて、わたしは、〔覚者の〕教えに喜びある者として住した。三つの明知(三明)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
188
一切所で、喜び〔の思い〕は打破された。闇の集塊は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは、打ち倒された者として存している」〔と〕。
 チャーラーは〔語った〕。
189
気づきの者として、眼[まなこ]ある者として、〔感官〕機能(根)を修めた比丘尼として、〔わたしは〕寂静の境地を理解した――俗人の慣れ親しむところにあらざる〔境地〕を。
190
〔悪魔が言った〕「いったい、どうして、〔あなたは〕生を喜ばないのですか。〔世に〕生まれた者は、諸々の欲望〔の対象〕を享受します。欲望〔の対象〕による喜悦を享受しなさい。のちに、悩み苦しむ者と成ってはなりません」〔と〕。
191
〔長老尼は答えた〕「生まれた者には、死が有る。〔両の〕手足の切断〔という恐れ〕が〔有る〕。殴打、結縛、〔心の〕汚れ(煩悩)が〔有る〕。生まれた者は、苦しみを受ける。
192
サキャ〔族〕の家に生まれた正覚者(ブッダ)が、〔一切に〕負けることなき方が、〔世に〕存在する。彼は、わたしに法(真理)を示した。生を超え行く〔法〕を
193
〔すなわち〕苦しみと、苦しみの生起と、そして、苦しみの超越と、苦しみの寂止へと至る八つの支分からなる聖なる道(八正道)を。
194
彼の言葉を聞いて、わたしは、〔覚者の〕教えに喜びある者として住した。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
195
一切所で、喜び〔の思い〕は打破された。闇の集塊は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは、打ち倒された者として存している」〔と〕。
 ウパチャーラーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 八なるものの集まり 】


八なるものの集まり

196
戒を成就した者として、諸々の〔感官〕機能(根)において〔自己が〕善く統御された比丘尼として、〔わたしは〕寂静の境地に到達するであろう――混ざりものなしの、甘露〔の境地〕に。
197
〔悪魔が言った〕「あるいは、三十三〔天の神々〕が、あるいは、耶摩〔天の神々〕が、あるいはまた、兜率〔天の神々〕など、天〔の神々〕たちがいます。化楽天〔の神々〕たちがいて、自在天〔の神々〕たちがいます。かつて、あなたが住した所――そこに、心を向けなさい」〔と〕。
198
〔長老尼は答えた〕「あるいは、三十三〔天の神々〕が、あるいは、耶摩〔天の神々〕が、あるいはまた、兜率〔天の神々〕など、天〔の神々〕たちがいる。化楽天〔の神々〕たちがいて、自在天〔の神々〕たちがいる。
199
〔彼らは〕時々[じじ]に、生存から生存へと〔輪廻し〕、身体が有ること(有身)を偏重する者たちであり、身体が有ることを超克せざる者たちであり、生と死〔の輪廻〕のうちを走り行く者たちである。
200
一切世〔界〕は、燃えている。一切世〔界〕は、遍く燃えている。一切世〔界〕は、燃え盛っている。一切世〔界〕は、揺れ動いている。
201
凡夫の慣れ親しむところにあらざる、不動にして無比なる法(教え)を、覚者(ブッダ)は、わたしに示した。そこにおいて、わたしの意[こころ]は、喜びあるものとなる。
202
彼の言葉を聞いて、わたしは、〔覚者の〕教えに喜びある者として住した。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
203
一切所で、喜び〔の思い〕は打破された。闇の集塊は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは、打ち倒された者として存している」〔と〕。
 シースーパチャーラーは〔語った〕。

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テーリーガーター (therîgâtâ) 【 九なるものの集まり 】


九なるものの集まり

204
〔長老尼が言った〕「ヴァッダ(人名)よ、まさに、おまえに、いついかなる時も、世における〔欲の〕下草(欲の思い)が有ってはならない。子よ、繰り返し、〔世の〕苦しみを分け持つ者と成ってはならない。
205
ヴァッダよ、まさに、疑惑を断って、動揺なき牟尼たちは――煩悩なく、〔心身の〕調御を得て、〔心が〕冷静[おだやか]に成った者たちは――安楽なるままに住む。
206
ヴァッダよ、おまえは、それらの聖賢たちによって歩まれた道を、〔正しい〕見[まなざし]を得るため、苦しみの終極[おわり]を為すため、増進せしめよ」〔と〕。
207
〔ヴァッダは言った〕「まさしく、〔道の〕熟達者にしてわたしの生母である〔あなた〕は、この義(意味)を語ります。母よ、〔わたしは〕思います――たしかに、あなたに、〔欲の〕下草(欲の思い)は見出されない〔と〕」〔と〕。
208
〔長老尼が言った〕「ヴァッダよ、諸々の形成作用〔によって作られたもの〕(諸行:現象世界)は、下劣なものも高尚なものも中間のものも、何であれ、たとえ、微細であっても、たとえ、微量であっても、わたしに、〔欲の〕下草は見出されない」〔と〕。
209
〔ヴァッダは言った〕「〔気づきを〕怠らずに瞑想しているわたしの、一切の煩悩は滅尽した。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は実証され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
210
まさに、わたしの母は、秀でた鞭を〔わたしに〕振り下ろした。また、慈しみ〔の思い〕ある方(ブッダ)であるかのように、最高の義(勝義:涅槃の境地)と名づけられた諸々の詩偈を〔わたしに語った〕。
211
彼女の言葉を聞いて、わたしは、生母の教示したことを〔為す者となり〕、束縛からの〔心の〕平安を得るため、法(真理)にたいする畏怖〔の念〕(回心の思い)を体験した。
212
そして、わたしは、昼夜に休みなく、精励することに自己を精励し(全身全霊を挙げて刻苦精励し)、母に促されて寂静の者となり、最上の寂静を体得した」〔と〕。
 ヴァッダの母は〔語った〕。

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