A: どれほど説明してあげても解っていただけないのは「慈悲」のこころです。
私が冥想会などで慈悲について語らなかった日が無いほどです。
「またかいなぁ」という気持ちで聴いていると話す気持ちさえも…
「つまらなくしてはいけません」と言う自己戒めにより消えていきます。
もし人が慈悲の実践によって精神的に悩むことに、ストレスが溜まることに、他人に嫌になるような結果になるならば、「本当に慈悲か」と疑問が生じます。心理学的に絶対あり得ないことです。
慈悲は無執着のこころです。見返りを求めないこころです。
どちらかというと、過去から今まで無数の生命のお陰で生きてきたことに恩返しのようなものです。
借りのお返しです。自分の業という借金の返済です。
汚れたこころで慈悲のことばをオウム返ししても、悪くはないのですが、又余計な期待をするのはいかがなものでしょうかと私が考えます。
慈しみを実践する人が相手は叱っても実践をする。相手に殴られても実践をする。相手に敵扱いされても実践をする。口を利いてくれなくても実践をする。相手に知られないように実践をする。自分の性格の汚さ、未熟さを正す目的で実践をする。怒る、叱る、嫌に思われる相手に対してより感謝を込めて実践をする。
何かを期待すると言うことは「精神的な修行まで商売」ということでしょうか。商売をする、得をする、儲かる、勝ち取る、などの思考から例え瞬間でも脱出できない人々のことを私にとっては「憐れむ」しかないのでしょうか。
死ぬ時でも医者に「治療代をまけてくれませんか」と頼むつもりでいてはならないではないでしょうか。
気持ちだけでもよいのですから、何かを他のために見返りを期待せずにしてあげてはいかがでしょうか。
慈悲は知恵を刺激する、知恵を開発してくれる冥想です。
そう簡単にできるとも思えないのです。
自分のわがまま、執着、期待感、
「何でアイツに慈悲をしなくてはいけないの?」と思う怒り、
慈悲をしているのだから皆私に親切にするはずなのに結果は逆ではないかと思う欲望、
「あの人は可愛い、色々とお世話になった、一緒にいて楽しかった、などの訳、理由などをつけて何かをする」ケチ(物惜しみ)感と戦ってやらなくてはならないのです。
これはある面で人格者の生き方です。ある面で厳しい修行です。人生観の次元を破ることです。
(人間には己の利益しか見えない。人が己しか可愛いものは存在しない。己のためにならないと何もしない。この人生観を破るのです。自も他も単なる妄想概念で苦しか作らない思考だと理解するのです。)
本物の慈悲の実践者に、他人の体の状態もある程度和らげてあげる能力があるのですが、必ず腐る、壊れる肉体に余計な、あり得ない期待をしないのです。
でも確実にこころを清らかにしてあげること、明るくしてあげること、悩めないようにしてあげることはできます。万が一相手が病気でいた場合は、「自分のこころが明るく、活発になったのでこころの治癒力が働きだすこともあります。しかし体の壊れた状態が大きくて、治癒力が間に合わないケースもあります。突然思い出した「慈悲の思考で世界制覇しようと思っても「早過ぎ」ではないかとも思います。
誰かに特別な感情を持ってなさる慈悲は慈悲ではなくて「欲」です。
自分の子供、伴侶を対処にして実践する場合も「本物に慈悲」となりにくいのです。(かなりの腕前のプロ-でない限り)「欲の」冥想するとそれなりの結果がでます。
ストレスが溜まる。感情的になる。落ちつきが消える。眠れなくなる。イライラする。体調が悪くなる。他に嫌われる。高慢になる。理性がなくなる。罪になる。などがその結果です。
慈悲の結果はそれらの逆です。
慈悲の実践から悪い結果も出ると思うより、「時々太陽が西からも昇りますよ。」と思ったほうがマシです。法則違反です。(このポイントの説明は仏教心理学の難しいところですので、遠慮します。)
なにかアドヴァイスっぽいものも書きたいのですが、広島県の先生方みたいに、納得いけるように、素晴らしいことを書けないのです。私が仏教の事以外何も知らない無知なものですので、(仏教も知っているつもりになる恐れもありますが)知識的なことは言えません。
とりあえず、誰かを狙い定めて「慈悲みたい」なものを実践することを止めて欲しいのです。あまりにもケチです。人に箸で取れるぐらい食事あげるより、上げないほうが良いのです。それぐらいでも「ご飯ではないか」と言えるのですが、貰う相手を侮辱したような気もします。恐らく喜んでくれません。相手の役にも立ちません。悪い印象を買ってしまいます。
本物の慈悲を実践して見たいとお思いになるならば、「生きとし生けるものが幸せでありますように」というセットだけやって見てください。
どうしても親しい人にも実践したいと思うならば、両親、恩師、目上の人々(お爺さま、お婆さまなど)、先輩などを対象にして下さい。一人、二人だけでは足らないのです。一人か二人ぐらいを狙ってイメージしてやるとあなたは精神的に苦しむことになりかねません。慈悲が欲に転回する恐れもあります。(親しい人は両親だけだとするならばかまいません。両親に冥想して問題が起こりません。−−でもあまりにも淋しいですね。−−)
例え両親でも他界しているならばやらないで下さい。止めて下さい。禁止しています。死んだ人を慈悲の冥想の対処にしないのです。そちらにも厳密な訳があります。
仏陀の冥想も薬と同じです。使用法を間違えないように。疑問があったら専門家に聞くこと。
失礼な態度でお返事を書いたことに申し訳がございます。
こころのことは遊びではありません。仕事よりも何よりも真剣に考えるべきです。建前の言葉は単なる気休めだけです。
とにかく、慈悲を実践したいという気持ちでおられるならば以上の指導を参考にして下さい。
三宝のご加護がありますように。
Sumanasara