「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【39】功徳とは何か

Q: 仏教では功徳という言葉がよく聞かれますが、功徳とは、どのようなことでしょうか

A:簡単に言えば、「よいこと」という意味です。人が悪いことをしてもかまわないと言うことはできません。ですから誰でも、「よいこと」をするべきです。功徳というのは、人が誰でも行うべき行為のことです。宗教、信仰、文化などにかかわらず、ひとりの人間として、行うべき行為です。よいことと悪いこととは何なのかと分析してみると、世界の人類は、さまざまな意見をもっていることは確かです。それはいいことにして、ときどき、「よいことなんかは意味がない」と言う人もいます。それは間違いだと思います。善悪概念に差があるのは、文化、宗教、信仰、習慣などが背景にあるからです。ある文化のなかでよいと思うことは、違う文化の中で生きている人にとっては無関係です。(箸で食べるのは日本の文化ではよいと思われている習慣ですからといって、西洋人にとっては無関係です)宗教においても同様で、キリスト教でよいと思われていることは仏教徒にとっては無関係です。よいことといえるのは、宗教、文化、習慣などの価値観で付け加えた行動パターンではなくて、人類に普遍的なものです。ですから、よいことは必ず行わなくてはならない行為です。「別によいことをしなくてもいいのではないか」とは言えないのです。

 仏教では「功徳」と説いているのは、この普遍的に意味のある善行為のことです。仏教も、数多い世界宗教の中のひとつとの宗教として扱ってみると、仏教にも他宗教と異なる教理、道徳が見られることは確かです。ですから、他宗教で認められていない善悪観が仏教の中に見られることは当然です。たとえば、仏教では酒も麻薬も許されていませんが、キリスト教では酒はかまわないですし、イスラム教では酒は禁じられていますが、麻薬には甘いのです。

 この説明により、仏教の功徳には二つの種類があることになります。ひとつは、普遍的功徳、もうひとつは仏教的功徳ですが、実際のところ、それほど差はありません。
 功徳は「よいこと」ですから、誰でも行うべきものです。

Q:良いことを行うとき、見返りを期待するのは悪いことではありませんか?

A:よいことをすると、よい結果になるということは、あたりまえのことです。よいことをしても悪い結果になるということは、ありえない話です。よい結果を期待してよい行いをしても、何も期待しないでよい行いをしても、結果は同じです。もし人が「私がよい結果は期待しません」と言い張っても、よいことにはよい結果が出るのです。

Q:よい結果というのは、自分に対する見返りではないでしょうか。

A:見返りばかり考えて、よいことをすると、打算的な感じがします。たとえば、お金を寄付すれば来生でお金持ちになれ、労力を提供すれば来生では健康的で体力のある人間になれる、などの話を聞いたこともあります。

 よい結果は、両方にあります。自分だけにくるわけではありません。たとえば人を食事に接待すれば、その人も喜ぶし、接待した自分もうれしく思います。自分に帰ってくる結果だけを考えるのは、決して美しい行為ではありません。ときどき、そのような行為は功徳ではなくなる可能性もあります。たとえば、自分が誰かにご馳走したいと思って、相手が嫌がっているにもかかわらず無理やり強引に、接待したとします。相手も逆らうことが出来なく、接待を受けたが、本当はありがた迷惑でしたとします。このような行動は、どのように評価すればよいのでしょうか。本人によい結果があるかもしれませんが、あまり高くは評価できません。よい行為を受ける側によい結果ではなく、悪い結果になる場合は、その行為自体がよいかと疑うべきです。たとえば人に高価な麻薬をあげた場合、自分は寄付行為をしたつもりかもしれませんが、ひとりの人を人間として堕落させたのだから、完全な悪行為です。ただあげたからよいわけではないのです。

 よい行為は、自分にも他人にも、よい結果をもたらすものです。自分の見返りだけを計算すると、一方的になり、純粋に清らかな行為にはなりません。善悪判断も正しくできなくなってしまいます。よい行為の自分に返ってくる結果は、自然法則として必ず出ますから、見返りを計算する必要はまったくありません。慎重に計算すべきなのは、自分の行為が他人の役に立つか立たないかということだけです。人の役に立つ行為であるならば、ためらうことなく実行すればいいのです。

Q:何もよいことをしたくない、完全なエゴイストは悪い結果しか得られないので、かわいそうではないですか。

A:エゴイストはよいことをしないのですから、社会にとっては迷惑な存在です。強盗したり、人を殺したりするのは、エゴイストです。また、けちな人は財布をじっと握って、他人のために何もしてあげません。このような人々の場合は、仏教は、功徳の論理のひとつの側面だけを強調して教えてあげます。「よい行為をすれば、必ず何万倍にもなって自分によい結果が返ってくる」ということです。お金を寄付すれば来生において、余るほどお金持ちになる。病人を助ければ決して病に触れることはない。住居を寄付すればどこに生まれ変わっても宮殿のようなところで住むことができるなどなどの話。このような物語は仏典にはいくらでもあります。この話に乗せられるエゴイストが、仏教で決められているよい行為を計算しながらでもするでしょう。よい行為をするたびに、自分に返ってくる甘い結果だけではなく、自分のエゴもゆっくりと崩れていきます。よい行為は必ず、人のエゴを攻撃します。やがて、よいことのみ純粋に喜ばれる立派な人間になるでしょう。

 よいことをする自信のない人々、よいことをした経験がない人々、善悪のことがあまりわからない人々も、このような話を聞いて、行動したほうがよいと思います。

 よい行為は自分にとっては無駄、損、経済的じゃない、と思うのは間違いです。よい結果があることを理解して、皆、功徳を積むことに励むべきだと思います。大それたことを考えてなにもしないより、自分にできる小さな善行為から始めるのがコツです。

(このページでは、皆さんからの質問をスマナサーラ長老にお聞きし、まとめています)

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