
日本テーラワーダ仏教協会の機関紙『パティパダー』に連載中の巻頭法話をご紹介します。スマナサーラ長老が、日常生活のなかで出会う問題に即して仏教の教えを説かれた人気コーナーです。ダウンロードして、ごゆっくりお読みください。
協会事務局では、長老の説法ビデオテープやカセットテープ、書籍などを、多数用意し販売しております。無料で差上げる本もありますので、ぜひご連絡ください。→協会のページ
更新情報
---2012年02月11日更新---
・(182)名声の落とし穴 NEW !!
---2012年01月01日更新---
・(181)修行は独りでおこなう
---2011年12月01日更新---
・(180)お釈迦様と効率主義
| (1) 「敵を作らない人間の真の生きかた」 人間はこの世に生まれ落ちたときから、“競争社会”の一員としてスタートさせられる運命にあります。小学校や中学校で猛勉強させられていい大学に入るのも、人よりいい人生を歩むためという大義名分の元で人に負ける… |
(2) 「罰の罰」 <人に係わっていくための約束事> 罰という概念は人間だれでも好むものではありません。「私は罰せられることが好きですから、いつでもどうぞご遠慮なく罰をあたえてください」というひとはどこを探してもいないはずです。みんながこんなに毛嫌い… |
| (3) 「心の逃走」 <人はなぜ苦しみ悩むのか> 私たちは、この世に生を受けてからというもの常に悩みごとに見舞われています。物ごころのついたそれこそ子供のころからお小遣いが少ないとか、もっとおもちゃが欲しい、学校の成績が悪く勉強が好きになれない… |
(4) 「悪魔に勝つために<1>」 <自分は美しい人間か> 元来人間の精神は脆弱であると言いきっても差し支えないとおもいます。「もっと良い人間になりたい」「自分というものを高次に磨いていきたい」「崇高な目的に向かって邁進したい」などと言いますが、その大半は夢に… |
| (5) 「悪魔に勝つために<2>」 <自由闊達な心を求めて> 人間の身体を清浄なものと思いこむことは、即ち悪魔(煩悩)につけ入る間隙を与える愚劣なる思考であるということは前号で解説したところですが、今回は人間の感覚器官の制御についての考察を試みてまいりましょう。… |
(6) 「真実の見つけ方」 <頭だけでは何も掴めない> 釈迦尊と同時代である宗教の開祖ともなったSan~jayaという有名な宗教家がいました。 釈迦尊より年が上で弟子たちも多くを数えていたようです。 仏教で一般的に言うところの六師外道のひとりです。現在、サンジャヤが… |
| (7) 「心のワクチン <苦しみ、悩みという病気に患らないために> 人類は、その歴史が始まって以来、二つの大きな悩みとともにその人間史をかたちづくってきたと言っていいのではないでしょうか。 二つの悩み、それは肉体の病いと心の病いです。 しかし、肉体の病い、即ち病気は… |
(8)「思考についての考察」 <悩む人間、悩みのない人間> 人間が他の生きものに比して決定的に差があると思っていることは“考える”ということだと人間自らが認めようとしています。 動物も考えてはいると思うのですが、人間は思考することにプライドすらを持っているようです。… |
| (9)「知識欲」 <知って役に立つこと、知ってはいけないこと> 人間の最も尊ぶ財産とはいったい何でしょう? これこそが人間にとっていちばん欲しがるものというのはどんなものでしょう? お金でしょうか、名誉でしょうか、それとも権力でしょうか? たしかにこれらのものを、「人間が… |
(10)「いまの瞬間」 <思い出が心を汚し、空想が心を乱す> 今回は仏教のなかでも特に重大な意味を持つといわれている appamâdaという言葉について考えてみたいと思います。この言葉はこれまでいろいろな解釈がなされてきました。怠らないこと、努力すること、励むこと、あるいは… |
| (11)「いまの瞬間の生き方を実現する方法」 <確実な解脱への道> 先月号でお話した“いま、ここ”に生きるという概念について、今月号ではもう少し掘り下げて具体的にそれを考えてみたいと思います。“いま、ここ”を実感するための実践方法はVipassanâ 冥想しかないということを先月号で… |
(12)「こころはわがままです」 <冥想による自己コントロール> こころというものはなかなか理解しがたいものですが、人間が真理の道を追求するためにはどうしても理解しておかなければならない命題です。「こころ」とは何ですかと大上段にふりかぶって考えると益々分かりにくくなり… |
| (13)「敵と味方の見分け方」 <自分のこころを育てるために> 人が生きるためには自分の敵と味方の区別をまず知ることです。結果として自分の人生を不幸にするものは敵となるでしょうし、幸福な生き方を手助けしてくれるものは味方ということになります。ですがこの場合、こちらの… |
(14)「すべてを勝ち抜くためには」 <自分の存在証明を得る方法> 今月は「すべてに勝つ」というテーマです。すべてに勝つということを、世界征服という意味に捉らえても構いません。マンガなどでは世界征服の野望を持った主人公を揶楡的に描いたりしてバカにしますが、宗教の世界では… |
| (15)「身体と幻」 <執着から離れ平安な心を得る> 我々の身体は、とても大事なものです。よほど非常識な人間でない限り、「そんな事はない」などとは言わないでしょう。生まれた時から、この大事な身体を育て守るために、我々は努力しています。動植物は自分の身体を… |
(16)「他人ばかり観たがる心」 <客観的判断と主観的判断> 人間がものごとを、自分中心に主観的に考えるというのは、その個人の固定観念に基づいたものです。ですからいつでも正しく判断できるわけではありません。ある人がいいと言うことを他の人が悪いと思うのは、その人の… |
| (17)「人生の目的 PART−1」 <生きることは本番のないリハーサルか> 我々は生まれたときから死ぬまで、いつも必死で生きています。小さいときは勉強したりスポーツしたり、頭と体を鍛えるために忙しく過します。それは大人になってから社会人として生きるための準備です。未来のための… |
(18)「人生の目的 PART−2」 <一切の束縛から逃れる為に> 道徳的な生き方により人格を完成することを人生の生きる目的としましょうと先月号で述べました。道徳的な面で気づきながら生きることもなかなか大変なことです。瞬間的に生まれる感情が生きる衝動になっていることが… |
| (19)「愚か者」とは誰のことか 原始経典を読むと、「愚か者」という言葉がたびたびでてきます。たとえ出家者であっても過ちを犯すことがあります。その過ちを戒めるとき、釈迦尊は決まって「愚か者」という呼び名で呼ぶんですね。決して無駄な言葉、… |
(20)「いい影響・悪い影響」 愚か者といえば、特別に知識のない人ではなく、真理を体験しようとしないごく普通の人々のことを意味するという話を先月講義しました。そうなると次には、釈迦尊に愚か者と言われないようにするにはどうしたらいいのかという… |
| (21)「悩み、苦しみ」を諦められるか 仏教の立場からいえば、人間の苦しみ、悩みは人間が勝手に作っているものではないかといえます。しかし悩んだり心配したりしている人にとってはその悩みごとは、実際にある大変な問題で、決して自分が好き勝手に… |
(22)賢者への道 愚か者と賢者という言葉は、今までの話のなかでたびたび出てきました。…愚か者というのは、特別に知識のない人を指すのではなく、我々のごく自然な在り方です。その状態から徐々に人間は成長していかなくてはいけない… |
| (23)「愚か者」もいろいろ 本来無知なる性格の人間が、人生を無知のままで終えてしまうようなことにならないためにはどうすればよいのかということを考察してみましょう。無知な人は結構頑固です。自分が物事を知っていると思っています。… |
(24)無知から生まれるわざわい 愚か者、無知な人という言葉はよく使いますが、この言葉のなかには非難する気持ちも否定する気持ちもまったくありません。「無知、愚か者」(ba^la)という言葉は我々生命が本来持っている性格を表わす仏教の専門用語です。 |
| (25)人格と性格は変えられる 人間にとって、どんな環境で育てられ、どんな環境で生きているかということは非常に重要な問題です。それは人間の人生そのものをかたちづくり形成するものだからです。生まれてから死ぬまで、人は生きている環境からいろんなことを… |
(26)賢者人間入門 [1] <要は心の発展にある> 仏教における愚か者という言葉の意味はこれまでにも何度も説明いたしました。愚か者にならない方法も説明してきました。今月は賢者という言葉の意味を考えてみましょう。… |
| (27)賢者人間入門[2] <感情に支配されず感情を支配する> 人間は感情に支配されています。好き、嫌い、欲望、夢、怒り、憎しみ、嫉妬、倣慢、プライド、メンツ、失望、苦しみ、悩みなどはすべて感情と言うことができるでしょう。その上さらに人の生きる環境からも様々な感情が… |
(28)賢者人間入門[3] <喜びとは、真理を知ることである> 賢者という性質は持って生まれるものではありません。智慧のある人間になるためにはそれなりの努力が必要です。それなのに普通の人間は、運命、業、定め、生まれつきのような概念を使って自分達の状態を解釈しがちです… |
| (29)賢者人間入門[4] <ネガティブ人間からポジティブ人間へ> 賢者というのは、単に智慧があるというだけではなくて、ちゃんとした人格をも持っています。すばらしい人格を形成していくことは難しいことです。人格を形成していく上においては、言葉遣いに気をつけたり、… |
(30)聖者(阿羅漢)の心 【1】 <すべての束縛の繋ぎから逃れ出るために> 心に何か悩みがあったり、不安があったりすると私たちは、ヴィパッサナー冥想でもしたら明るくなれるのではないかと思います。あるいは体が病気で悩まされているときも、冥想でもしたら早く健康になるだろうと期待します。… |
| (31)聖者(阿羅漢)の心 【2】 <真の自由人間への道 > 解脱を目的として実践を続けると、心は確実に清らかな方向へ変わって行くことが感じられます。その道の終点として解脱があるのです。しかし言葉に引っばられると余計な解釈、誤解などに陥りやすいので、… |
(32)聖者(阿羅漢)の心 【3】 <たまったゴミは捨てましょう> 人はものを集めることがたまらなく好きです。人生というのはものを集めることだとも言えるほどです。生活にどうしても必要なものを集めてためておくことは、理解できます。でもただ集めることだけが好きで… |
| (33)「聖者(阿羅漢)の心 【4】」 <落ちつけ、落ちつけ…> 人というのは、ずいぶん忙しいものです。時計という偉大な神様に完全に管理されています。しかしもしもこの神様に言われるとおり、1秒も悩む暇なく生きているとすれば、余計なことを考えて悩む暇はないはずで… |
(34)実る生き方・1 <最後まであきらめない> …タンパダーティカという王様の死刑執行人がいて、50年間この仕事を続けていました。あまりにも年をとってしまって、最後の頃には人を処刑するカがなくなり、刀で2−3回切りつけなければ処刑できなくなっていました。… |
| (35)実る生き方・2 <明日では遅すぎる> ある商人達のグループが、船で商売に出かける途中に遭難しました。そのなかの商人のひとりバーヒヤは板切れにつかまってスッパーラカという島に漂着しました。漂流中に衣類をなくし島に辿り着いたときには裸で… |
(36)「本気でチャレンジ」 <されど競争相手は作るな> インドのラージャガハ(王舎城)という町にクンララケーシーという娘さんがいました。両親は大金持ちで、その娘を一歩も外へ出さないほど、大変大事に箱入りに育てました。娘が年頃になったある日、窓から外を見ていると… |
| (37)「競争での勝利は勝利にあらず」 <必要に迫られても悪は正当化できません> お釈迦様はいつも、人間が幸福になる道だけを教えてこられました。全ては苦しみであるということが普遍的な真理であると教えられ、この苦しみをどのようにすれば越えらるかという道を、涅槃に入るまで教え続け… |
(38)「祈り」は宗教とは無関係 <幸福を願うなら聖者に道を学びなさい> 宗教には、儀式、儀礼などがつきものです。文明といっしょに、宗教という概念も生まれ発達してきましたが、文明の初期時代の宗教というのは、何らかの儀式を行うことだったと考えられます。何か超自然的な対象を創造して… |
| (39)「祈り」より正しい人間関係 <和を守る行動も仏教の道徳です> 宗教と祈りの関係をさらに考察してみましょう。宗教といえば、人の心にまず浮かぶものは、何か超自然的な対象を信じることです。その超自然的な対象に対して、祈る、様々な儀式儀礼を行う、また信仰に関わる様々な… |
(40)死ぬのは怖い? <生きるだけが能じやない> ある比丘のグループがお釈迦様から瞑想指導をうけて、森の中に修行に入ることになりました。釈迦尊は、行く前にサーリプッタ尊者に挨拶してから修行に入った方がよいと提案しました。… |
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(41)「怖がるものは武器を持つ」 |
(42)「落ち込むのは人間の本性」 <良い目的はやる気を持続させる> 人の実行力、あるいはやる気というものは、あまり長く続くものではありません。すぐにやる気が消えてしまうという経験は、誰にでもあると思います。努力して、心に力をつけてあげても、またすぐ落ち込んで… |
| (43)「生きることは爆弾遊びか」 <無常を知るものは人生を知る> 人間を悩ませる苦しみについて、極限的な話をします。釈迦尊の時代、インドにパターチャーラーという名の大富豪の娘がいました。彼女は、召使いの間でも特に身分の低い若い召使いと恋に落ちてしまい、駆け落ち… |
(44)「悪は、心の趣味です」 <勇者のみ善を行う > 「悪いことなんかはやりたくない」「いいことだけをして一生、生きていきたい」。誰に聞いても皆、このように考えているようです。それが本当であるならば、人間というのは素晴らしいですね。でもいにしえの昔から今まで… |
| (45)「心は癖で行動する」 <心に良い習慣をつけないと自由になれません> 自由に生きているのだ、自由に考えているのだ、私は自由だ、と多くの人が思っています。自由というのは人間が好きな言葉です。自由がないと、悩んだり文句を言ったりする人も人間の社会では多くあります。… |
(46)目先の楽しみ、は後の落とし穴 <人類の本質は過ちを犯すこと> 人はよく過ちを犯します。過ちを犯さない人間は世の中にいないのですから、過ちを犯すことが人間の特色だということもできます。人間は必ずまちがいを起こすのだというこの事実を理解すると、自分の過ちについて… |
| (47)ギネス記録症候群 <小さな善行為がすべての始まり> 「あなたは日本一だ。いや世界一だ。」と言われる人になれば、なんと幸せでしょう。でも皆自信が無く、そういう風になろうと本気になってがんばる人は、あまりいないようですね。… |
(48)危険を抱きしめるべからず <幸福はこころ次第> 今、とても寒いですね。出かけるときには暖かい服を着て、必要ならカイロも入れて用意しないと、風邪を引くかも知れません。私なら大丈夫と高をくくる前に気をつけた方がよいでしょう。当たり前のことかも知れませんが… |
| (49)悪に対する抵抗力 <智慧さえあればこの世の中で生きることは楽> 悪がはびこるこの世の中で、心を清浄に保つことは可能でしょうか。この地球に生きている人間社会を見渡すかぎり、賄賂、搾取、弱肉強食、不正、差別、不公平… |
(50)敗者の道 <怒りの制御は幸福をもたらす> 怒りっぱなしの人生はいやだなあと、思わない人はいないでしょう。明るく楽しく、みんなと仲良く生きることができればなんて幸せなのでしょう。それはすべての人間の希望です… |
| (51)無関係なことにも巻き込まれる <危険から身を守れるのは理性のみ> 舎衛城(Sa^vatthi サーワッティ)という都市に、宝石細工職人の夫婦が暮らしていました。この夫婦は仏教を信仰し、お布施として一人の阿羅漢(聖者)の生活のお世話をしていました。… |
(52)心からは逃げられません <悪事は隠し通せないものです> 悪事、不正などを行う人は、それらが露見しないようにいろいろと工夫します。しかしうまく隠し通したと安心できるのはつかの間です。悪事は必ず露見します。その不幸な報いから逃げることは決してできません。… |
| (53)なぜ殺してはいけないのか <人類の歴史は流血の歴史です> 暴力を振るってはいけない、人を殺してはいけないというと、誰でも当たり前のことだと思うでしょう。なぜ殺してはいけないのか、なぜ暴力を振るってはいけないのかと誰かに聞かれたら、驚くだろうと思います。… |
(54)続・なぜ殺してはいけないのか <殺意は無知から生まれる> 自分は殺されたくはない、という気持ちは、すべての生命が持っています。「私」を理解すれば、この論理は、簡単に理解できます。「私は殺されたくない」「幸福に、楽に、長生きしたい」という気持ちは普通です。… |
| (55)言葉は核燃料か <感情混じりの言葉は核廃棄物です> 人間の言葉は、核燃料だと思ってください。核燃料だといえば、いちいち説明しなくてもおわかりになるだろうと思います。現在、我々が必要としている膨大なエネルギーは、核燃料でも使わないとまかなえません。… |
(56)目的に向って一心にチャレンジ? <失望しても、幸福は確保できる> お釈迦様の信者さんにヴィサーカー夫人という裕福な女性がいました。小さい頃から家族が敬虔な仏教徒でしたので、彼女はお釈迦様の説法を聞いて、若いうちに、預流果(sotapatti)という段階まで悟りに達していたのです。… |
| (57)悩みは自分の行いから <人は知らず知らず悪い行いをする> なぜ私の人生はうまくいかないのでしょう。なぜいつも何かトラブルが起こるのでしょう。あんなに気をつけていたのに、なぜ自分は病気になったのでしょう。精一杯がんばって大変やさしく子供を育てたのに… |
(58)人は苦しみの原因に固執する <社会に幸福はあり得るか> 社会一般に見られる苦しみについて考えてみます。今の社会は昔より大変すばらしいと考えている人々がいます。「いいえ、今より昔の方がずっとよかった」と言う人々もいます。大抵の人々の意見は、この二つに分けられ… |
| (59)どこまで他人に頼りますか <心が清らかにならない行は修行にはなりません> 人は何か困ったことがあるとき、すぐ他人に頼りたくなります。普通の人生では、いろいろなことで他人に頼らないと生活は成り立ちません。ですから他人に頼ることは、悪いことではなく必要なことといえます。… |
(60)身なりで心が読める <身なりを重視して中身を忘れてはならない> 身なりを整えることはとても大切だという考え方があります。見た目がいい加減であるならば、その人のことをあまり大切に思いたくないものです。社会のことを考慮すると、それもその通りではないかと思われます。… |
| (61)快楽におぼれると <仏弟子は気品高く生きるべき> 世俗的な快楽というものは、人の心を強くとらえるものです。たいていの人々は、快楽におぼれて生活しています。楽しむのはかまわないのですが、快楽におぼれると、自分が何をやっているかということに… |
(62)工夫の達人たち <心は放っておけば堕落する> Sariputta(サーリプッタ) 尊者は『智慧第一』という仏弟子達の最高の位を授けられた、お釈迦様の一番弟子でした。『智慧第一』ということは天才的な能力を持っていたということです。しかしとても謙虚な性格で… |
| (63)人は幸福に盲目です <一般人の幸福論は差別的です> 人生を楽しみたい、楽しく生きていきたい、と人は誰でも思っているのではないでしょうか。わざと苦しんで生きる必要はないのですから、人生を楽しむべきものと考えるのは、当然のことです。… |
(64)お洒落にかける人生 <身体は裏切りもの> フェラガモ、ジバンシー、シャネルなどブランド服の'S'サイズが着られるほどのスタイルならうれしい。ナオミ・キャンベルさんみたいに細くて足が長ければ、最高…。しかし美しくなりたいという夢は… |
| (65)楽のみを追うと苦を得る <死を迎えたとき、自由な心で> 容姿について過剰に気にする必要はありません。美しくなるために神経を削ってがんばっても、美というのは個の主観であること、また、自分が「美」だと思うものも他人には違うように見えてしまうことについて… |
(66)悟ったつもりは危険 <刺激に対する反応でこころの状態がわかる> お釈迦さまの時代、欲におぼれた世俗的な生き方を厭い、清浄な心を育て解脱を体験したいと思って、あるグループが皆で出家しました。出家の目的を達成するためには修行しなくてはならないので、人里離れて森の中に… |
| (67)説法は耳障り <美も醜も同一のものです> 仏陀の教えがたとえわかりやすくて真理であっても、みんなに親しまれたわけではありません。違う信仰を持つ人に好まれないのは当然のことですから、それは問題になりません。仏教徒の中でも、教えに対する人気… |
(68)文化遺産と心の遺産 <「値札」と「価値」が悪を呼ぶ> エジプトのビラミッド、ギリシアのアポロ神段、奈良の法隆寺、日光東照宮、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥール、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」など、世界遺産のなかには… |
| (69)体のことしか考えられない <智恵のない生き方はむなしい> 先月は日本中がオリンピック一色でした。同じ試合、同じ場面が、いくつものチャンネルで、何度も何度も朝から晩まで放映されることもしばしばでした。「○○さんが金メダルを獲った感動の場面を、もう一度ごらん… |
(70)『知っているつもり』の苦しみ <エゴと煩悩のメカニズム> 『知る機能』がこころですと仏教は定義しています。しかし「私はこころで何でも知っている」と思うようになったら、これは問題であると思います。仏教は、こころは正しく、ありのままに、ものを知ることをしないという立場をとって… |
| (71) 社会が認めるのはどのような人か <道徳が支える人生に後悔なし> 人はどのように生きていればよいでしょうか。何か理想的な生き方というものでもあるのでしょうか。自分にぴったりと合う特別な生き方があるのでしょうか。間違った生き方と、正しい生き方とは何でしょうか。どう… |
(72) 自分しか愛せない <智恵のある人は自分を守る> 私たちは誰のことが一番好きでしょうか。誰のことを真剣に心配したり、気にしたりするのでしょうか。子供のこと、両親のことなどが思い浮かぶかもしれませんが、実は違います。どんな人でも、何より先に自分のことが、好き… |
| (73)守る気になれない道徳 <説得力を持たない道徳は無意味です> 「悪いことはしてはいけません」「嘘をついてはいけません」「人をだましてはいけません」「怠けてはいけません」「他人のものを盗ってはいけません」…このような「いけません」洪水の中で我々はそれを守るどころか… |
(74)何に頼れば安全ですか <不安がこころの自由を壊す> 宗教というのは、何かを信仰して、それに頼って生きることだと言ってもそれほど間違いはないと思います。完全な自信を持って生きている人はほとんどないでしょう。『不安』というのは『運命』のようなもので、生まれると同時に… |
| (75)仏陀の出現は幸福です <祝福を行うWesak祭り> 5月7日の満月の日に、仏暦は2545年に変わります。テーラワーダ仏教徒にとって、この日は365日の中で一番大切な日です。この日1日、ほとんどの人々は修行に励みます。… |
(76)なぜ私は不幸になるのでしょう <不幸の原因は自分のこころの中にある> 私が不幸なのはなぜでしょうか。色々と努力しても、物事がうまくいかないのはなぜでしょうか。真剣に真面目にがんばっているのに、なかなか希望通りの結果にはならないのです。… |
| (77)仇敵のすみかは自己のこころの中 <知らず知らず自己破壊へ歩む人> 仏典に、マールワーという名前の蔓の話があります。種が大変小さく、風で飛んで、他の木の幹に粘着し、その木に寄生して成長します。木にマールワーの種がついたら、木に宿っている神霊がたいへん怯えるそうで… |
(78)「なぜ生命は不幸を目指すのか」> <悪は善を装ってでも人を襲う> 楽しくて、やらずにおれない行為の危険性について考えてみましょう。我々が生まれつき、また本能的に、実行すれば楽しくなるような行為は、限定されているような気がします。美味しいものを食べたり、きれいな服を着たり、… |
| (79)「本物と勘違い」 <真実の道は地道に歩むもの> 風船、金銀モールなどの飾りは、他の何よりも先に目に入ります。派手に自分を演出していますが、実は何の価値もない、すぐゴミになるものです。金紙銀紙と違って本物の黄金は、人の目に触れないところで厳密に… |
(80)「無駄な責任転嫁」 <すべては自分の責任であった> 自己責任について、初期仏教の立場がどのようなものかについて、考えてみましょう。他人に対して責任を持ちなさいと戒めるのは簡単なことです。言う側にとっては、優位に立っているような気もするでしょう。しかし… |
| (81)「他人の為は『他人の為』か」 <災難は『主義』が起こす> 「他人の救いの為に努力する」ということは、ほとんどの宗教で尊い道徳だと思われています。皆のために頑張る、皆を幸せにしてあげる、世界を、人類を救済してあげるなどの言葉は、どんな人でもすばらしい表現だと感じる… |
(82) 「どう生きればいいの?」 <曖昧に生きることを避けるための4原則> 私たちは、どのように生きていけばよいのでしょうか。誰でも気軽に訊く質問ですが、簡単に答えるのは難しいと思います。この気軽な質問にお釈迦さまが示した一つの考え方について考察してみましょう。 |
| (83)「論より正悟」 <仏法は思考のゲームではありません> 「立ち上がれ、努力せよ、怠るなかれ」というお釈迦さまの言葉があります。お釈迦さまは当時の他の宗教家たちや観念的な理想ばかり語る夢想家たちと違い、目的に達するため、実際に行動を起すことを重んじる方でした。… |
(84)この世は泡沫です <「ある」という苦と「ない」という苦> 「ものがある」と思うと、無限の苦しみが心に流れ込むのです。では、「ものがない」と思えば、幸福になるわけでしょうか? そもそも我々に「ものがない」と、そう簡単に思えるのでしょうか。なにより先に、有・無の意味を理解… |
| (85)「人は皆、歌舞伎役者です」 <他を騙す行為で自分が騙される> 自分はきれいに演出しなくてはいけませんね。「自分が気楽でいたい。他人を気にして生きてなどいられない」と思って、好き勝手なだらしのない服装や、生活習慣などを身につけてはいけないのですね。それは他人にとって… |
(86)「ホンモノ」と「ニセモノ」 <中身を磨くか、うわべを飾るか> ホンモノとニセモノの違いはどこにあるのでしょうか。その判断を誤ると、ときにはたいへんな結果を招くことになります。 世の中にホンモノなんてあるのか、ニセモノばかりではないか、と言いたくなるときもありますが、その… |
| (87)「『釈尊の日』を祝う」 <仏陀の出現は至上の幸福> 5月はテーラワ−ダ仏教徒にとって特別の意味をもつ月です。この月の満月の日(今年は26日)から、新しい年が始まるのです。西暦の場合はキリストの降誕が起点になっていると言われますが、仏暦の場合は何から始まる… |
(88)「後悔」は美徳ですか? <非難の視線は自分に返ってくる> アングリマーラ尊者のエピソードは、これまでにも何度かお話ししました。アングリマーラ尊者はKosala王の相談役だったGagga大臣の息子として生まれました。生まれてまもなく父親が占ってみたところ、この子は大変な殺戮… |
| (89)「病人は他人に薬を飲ませる」 <自己観察しなければ無知は破れない> 自由に空を舞う鳥たちに網をかけたら、その網を破ってもう一度自由になることは、鳥たちにもできません。一見強そうに見える鳥たちにも弱点があるようですね。人間にとって、無知を破ることは並大抵なことではないという… |
(90)空を飛んでみたい <俗世間を乗り越える道> 子供たちは、自由に空を飛んでいる鳥たちを見るとうらやましくてたまりません。空を飛べればいいなあと思ったりして、頭の中でも空を飛ぶシミュレーションをして遊ぶのです。今は飛行機に乗れば空を飛べるので、飛行機の… |
| (91)道徳のバロメーター <すべての罪は嘘に始まり嘘に終わる> 釈尊は、王様たちにも、知識人にも、道端の人々にも、尊い真理を語りつづけました。人の社会的な地位にあわせて真理を言い控えることはなかったのです。究極の知識人も、知識は何もない奴隷カーストの人々も、同じ真理… |
(92)『与える』人は損をしますか? <幸福に生きる秘訣> Âlavaka(アーラヴァカ)という名の夜叉(神霊)がある日、釈尊に尋ねました。「どうすれば友達ができるでしょうか」。釈尊は、「与える者は、友達を作る」と答えられました。夜叉という神霊は性格的には大変乱暴で、他の生命に… |
| (93)人の認識はあべこべです <目指すべきは意識革命> 知っていますか? 人々は本当に価値あるものに価値がないと思い、価値がないものに価値があると思う。評価すべきものは評価せず、批判すべきものを賞賛する。意味あるものは無意味だと思い、無意味なものに意味が… |
(94) 賢者の言葉は簡単です <仏陀は誰もが理解できるように語ります> 釈尊の教えは、簡単でわかりやすいと誰もが思っ ています。残されている経典を読んでみると、ほと んどが、とても合理的であることがわかります。仏 教を勉強する人々は、この合理性に惹かれ、釈尊の 教えを自分なりに… |
| (95) こころの檻を壊す <欲を絶つと能力は無制限> 仏陀の智恵は人間の知識でははかりしれないものです。仏陀の悟りの境地も、言葉で表現したり、知識で理解したりできるものではありません。悟りを開いてすぐ、釈尊は大きなジレンマに陥りました。… |
(96) 仏陀は皆に好かれる <人のエゴは幸福を壊す> 『好かれる』という言葉の意味を、我々はよく知っています。他人に好かれたくないと思う人はいないと思います。むしろ、皆に好かれる方がありがたいのではないでしょうか。他人に気に入られること、親切にされること、他人と… |
| (97)人生には暇はない <真理に出会うチャンスはまれである> 人はのんびり生活したいと思っているものです。仏教は、人にのんびりする暇はまったくないという立場をとっています。のんびりするというのは、どういう意味でしょうか。… |
(98)一言で知る仏教の全て<1> <釈尊もインスタントの方が好きでした> 私たちは何でも、簡単にインスタントに理解したがるものです。分厚い本などを何年もかけて勉強したり研究したりして理解するよりは、「この一冊で全てが分かる本」を持って通勤電車に乗り、最寄り駅で降りるまでに読み終え… |
| (99)「不朽不滅の勝利」 <仏陀に替わりうる指導者はいない> この世で初めて完全なる悟りを開き、すべての生命に平安への道を解き明かされたお釈迦さまをお祝いするウェーサーカ祭(本年は西暦の5月16日)がやってきました。この日はテーラワーダ仏教徒にとってのお正月です。… |
(100)一言で知る仏教の全て<2> <平等主義とは忍耐のことです> 「釈迦は何をおっしゃっているのか。言っていることがさっぱりわかりません」というのが、ほとんどの人々の感想です。その気持ちはわからないでもないのですが、たいへん高度な文明を築き、めまぐるしい科学発展を経て… |
| (101)一言で知る仏教の全て<3> <まさか、宗教も問題児?> 最近このように質問されたことがあります。「人間に平和と安らぎを教えるはずの宗教が、互いに争っているように見えます。それがどうしても理解できないのです。この現状は、どのように説明できますか」。これは私たちに… |
(102)明日を楽しめる保証はない <まだ欲しいのに賞味期限は切れている> 貴方は、どれくらいお金があれば充分満足しますか。どれくらい健康で体力があれば満足しますか。どれくらい美しければ充分だといえるでしょうか。これらは、誰にもはっきりとは答えられない質問です。そう言われると… |
| (103)お守りは不安の泉 <理性を育むと迷信は消える> 世の中に、お守りは色々あります。お守りは、学問成就、無病息災、商売繁盛、家庭円満などを約束しています。学問成就、無病息災、商売繁盛、家庭円満などは、この世の中で生きている我々にとっては必要に決まっている… |
(104)自由という幻覚 <人生の行方は外からの影響で決められる> 人間という生きものは、何一つ、自分ひとりの力だけですることはできません。たったひとりの努力だけで何かをやり遂げようではないかと、余計な見栄を張って踏んばらなくてもよいのです。何か一つをやり遂げるという稀少な… |
| (105)幸福がこぼれ落ちる理由 <凡人は不幸を幸福だと定義する> 幸福というのは、いったい何なのでしょうか。楽しみ、しあわせという場合は、何を意味するのでしょうか。愉快、快感、極楽のような言葉を使うときは、一時的な気持ちを表しますので理解しやすいのですが、幸福、安らぎという… |
(106)手に届かぬ自由 <学ぶなら、完全な人から学ぶ> 「私たちは自由な人間だ。もっと自由になりたいのだ」と思っているでしょう?しかし、本当はそうではありませんね。本当は自由でもないし、自由になることもできません。我々は言われたままに生きているだけです。自分の… |
| (107)戦争は愚か者の見せ場です。 <戦争には正当な理由は成り立ちません> 釈迦族とコーリヤ族の間で争いが起きました。釈尊は釈迦族の人で、妃であったヤソーダラー夫人はコーリヤ族の人でした。両国とも、ローヒニー川の水で農業を営んでいたのです。この年は水不足で、農民たちは… |
(108)逃げる幸福 <ものに頼る幸福は、人を裏切る> 必要な順番で言えば、まず、食べるものだと思います。食べるものには何の心配もない、どんな高価な食べ物でも簡単に手に入るというのであれば幸せでしょう。次は服です。自分に似合う、気に入った服なら何でも簡単に… |
| (109)敗退に気づかない勝利者 <幸福を逃がす、競争の原理> 競争の原理は世界の原動力 です。競争を地軸にして、我々は生きています。競争し ない生き方なんか、そうそう はできない。幼稚園に行く前 にも、子供は「勝った、負 けた、嬉しい、悔しい」とい うことを経験しているのです… |
(110)苦は幸福の面を被る <欲と怒りは幸福を燃やし尽くす> 人間には楽しいことはいくらでもあります。美味しいものを食べることは、人は誰でも第一に楽しむことです。より美味しく食べるために、人間はあらゆる工夫をします。その結果として、フランス・中国・日本などの食文化という… |
| (111)「完全智者の現れに因んで」 <悟った人には何の疑も存在しない> 2004年5月5日は、仏暦2548年の元旦です。釈迦牟尼仏陀の降誕・成道・涅槃という、最聖なる出来事をお祝いする、仏教徒においてはこの上のない吉日です。国際的にウェーサーカ祭と認知されています。… |
(112)苦行と修行は違うもの <悟るためには身体の安定も必要です> お釈迦さまの在世当時、アーラヴィ地方にある貧しい村人がいました。世俗的な財産にそれほど恵まれてなかった割に、性格も頭も良い人でした。舎衛城に住んでおられたお釈迦さまの心に、この人のことが映りました。… |
| (113)比丘出家儀式の後のご法話・他 <ダンマラーマ比丘の話> お釈迦さまが涅槃に入られることを宣言された時、あらゆる比丘たち大阿羅漢たちが釈尊に最後の挨拶をするため伺いました。比丘たちばかりか、諸国の王様たちをはじめ、あらゆる人たちが集まってきたのです。ただ… |
(114)一番を目指して生きる <「最高」の論理的な定義> 一般的に我々は、何か気に入ったものがあれば「これは最高だ」と、軽い気持ちで言います。それは単なる感情表現で、それほど深い意味はありません。英語を使う人も、何かをほめたり評価したりする時、大胆な形容詞を… |
| (115)忙し自慢で苦を覆う <幸福に生きるための査定プログラム> 人には楽しく生きる暇は、全くありません。というよりは、自分の人生をできるだけ複雑にして、必要である用事も必要でない用事も、その上自分に関係ないことも背負って、忙しく生きているのです。忙しさを自慢し… |
(116)個人という囚人 <自由のない生き方は最大の苦難です> 人の顔色を窺って自分の生き方を決める。これは、ほとんどの人の生き方です。人は自分の好き勝手で生きることはできない。他人の協力が必要です。一緒に生活している仲間と調和を保たなくてはならない。自分勝手な… |
| (117)つきあう前に人を選ぶ <人間関係は知人と友人を選ぶことで始まる> …人間は他人から何でもかんでも教えてもらう。教えてもらわないと何もできない。「教えてもらいなさい」というのは、人間の宿命です。しかし、何でもいいから教えてもらうことも、人を教えてもらうことも、危険な行為です… |
(118)好きな生き方は悪魔のご褒美 <好き嫌いに操られない人は幸福です> 「好き」という言葉があります。誰でも「好き」という言葉は好きですが、油断のならない厄介な曲者です。好きなことをしたい、好きなものを勉強したい、好きな食べ物を食べたい、好きなところに住みたい、好きな仕事をしたい… |
| (119)好きな生き方が招く危機 <好みに執着すると精神病になる> 「好き」という問題の、もう一つの側面を考えてみましょう。好きなものがあれば幸福を感じる。好きなことをして生きることができれば、恵まれていると思う。好きなものを期待する。好きなものを切望する。好きなもののために努力… |
(120)好きを追って、不幸にたどり着く <実用主義者は好き嫌いに悩まない> 「好き」なことだけをやって生きていられるならば、それは最高に幸せだ、恵まれていることだ、と一般的に誰もが考えるのです。好きではないことをやらなくてはならないときは、苦しみと不幸を感じる。たとえば、自分の仕事が… |
| (121)表は「好きと愛」、裏は「悩みと恐怖」 <世界が変わっても苦しみは消えない> 「好き」と言っても、意味はいろいろです。「好き」と言うときは、人の気持ちを表しています。普通、人は誰かを好きになります。また、何か物を好きになります。さらに、他人の思考、考え方も好きになります。自分の思考、妄想、… |
(122)美しく燃える欲の炎 <性欲は危険と苦しみにかぶる目隠し> 「好き」という人間の感情について、続けて説明したいと思います。この概念を明確に理解すると、生命のからくりが明らかになるのです。「好き」と言えば、反対に「嫌い」という感情もあります。生きるということは、不可思議な… |
| (123)仏陀が発見された真理ー渇愛 <ものごとに納得いかないことで、苦しみが続く> 時代が変わっても場所が変わっても、決して変わらない真理、すべての人種に普遍的に当てはまる真理を、お釈迦さまが二千五百年前に発見されて仏陀となられたのです。今月は、人類にとって最高の幸福をもたらしたこの… |
(124)他人に好かれる道 <人の目を気にする人は、嫌われる> 人の様々な「好き」について語ってきましたが、今月は他人が自分を好きになるということについて、考えてみましょう。他人に好かれることは、決して悪いことではありません。タレントさんみたいに、たくさんの人々に「追っかけ」… |
| (125)解脱は理解できない <仏教徒は、仏陀の道を歩んでいるのか?> 涅槃は仏教が語る最終的な境地です。その境地を目指して仏教徒は修行してきたのです。しかし現代においては、仏教徒が皆その涅槃を目指して励んでいるのかは、疑問です。個人的に聞いてみると、皆それぞれ、目的や訳… |
(126)皆に好かれる人間になりたい <仏陀が説かれる正しい好かれ方> 人に好かれることは、人間にとってはとても必要なのです。好かれる人は、楽しく生きていられます。頑固でわがままな人は、「私は人に好かれても、嫌われても一向に気にしない」と豪語するかもしれませんが、それが本当か… |
| (127)怒りは心の自動発火装置 <怒りは簡単に消えないもの> 今月から、怒りについて考えてみたいと思います。怒りは良くないという話は、嫌になるほど聞いておられると思います。「その話は聞き飽きた」と思われるでしょう。実は、その感想も怒りなのです。怒りは良くないと聞いて怒… |
(128)人生のプロドライバーになる <怒る人は多重に損をする> 自動発火する怒りは、人の道徳も幸福も生きる楽しみも、燃やしてしまうのです。怒りの種火が起きたら、急速に怒りの炎が燃え上がるのです。怒りは火に喩えられていますが、この喩えを文学的な表現として軽く見ないで、… |
| (129)怒りに慈しみで勝つ <世間論に従うと敗北する> 仏陀の教えは慈しみと智慧という二本の礎の上に築く、解脱(涅槃)という究極の幸福・平安に人を導くものです。この教えはただ解脱を目指すのみで、現代人の生き方には役に立たない、無関係な教えだとは決して言えるもの… |
(130)死後は天界を目指す <常識的な人間が天国に赴く> 死後だれが天界に生まれるのでしょうか? ほとんど興味が湧かない質問でしょう。皆死後成仏するでしょうと日本文化では包括的に思われているようです。そうすると、死後のことなんかは考えたり、悩んだり、心配したり… |
| (131)幸福と祝福 NEW !! <苦は楽だと勘違いしないための仏陀の智慧> 新年を迎えることになりました。皆様方に三宝のご加護がありますようにと、また真理の力により幸福に満たされますようにと祝福いたします。 人は誰でも「おめでとう」と互いに祝福を交わす時期なので、祝福と幸福について… |
(132)釈尊のもう一組の両親 <親との絆は遺伝的ではなく、精神的です> 釈尊がサーケータ町のアンジャナワナという森に泊まっていたときの話です。サーケータ町に托鉢に出掛けました。その町に住んでいたバラモンの老人が、家を出ようとしたところで仏陀に出会いました。すると突然、しゃがみ… |
| (133)心は無停止 <絶えず汚れが生まれるので、修行に休憩なし> 注意深く気にするべきものは心です。といっても皆、苦笑いしてこのアドバイスを無視します。人にとって、肉体だけが何よりも価値のある大事なものです。肉体のためなら、どんな苦労も惜しみません。何でもやります。健康… |
(134)自分のことを棚に上げる <己を観ずに他人を観て、不幸を招く> 人間は二種類います。(1)他人を批判する人 (2)他人を賞賛する人 です。こんなに簡単に二分化できるとは思いませんが、少々考えてみましょう。(1)他人を批判する人は、いつでもどんな人でも、短所ばかり見るのです。… |
| (135)躾と行儀作法は正しいと言えますか? <変遷する社会に適した道徳> お釈迦さまの出家弟子たちの中に、六人の不良グループがいました。不良といっても、戒律を犯したり、仏陀の教えを認めなかったりしたわけではありません。比丘としての基本的な戒律・規則は文字通りに守っていました。… |
(136)臨終の時の説法 <死をごまかして不幸になる> 舍衛城に肉屋さんがいました。牛を屠殺して肉を売って生計を立てることは、彼の一生の職業でした。この人も肉を食べるのが好きで、毎日の食事に肉料理は欠かせませんでした。ある日、肉はほとんど売り切れの状態に… |
| (137)小さな善から始まる <一日で善人にはなれません> 人間は、面白い性格を持っています。難しいことを喋ると、「難しくて嫌だ。簡潔に言えないのか」と思う。簡潔に言うと、自分の知識能力を軽視されたような気がして嫌になる。言われたことは、大したことではないと思う。難しい… |
(138)身から出た錆 <僅かな刺激でこころは汚れる> 舎衛城(Sâvatthî)に住んでいたある人が出家してティッサという名前で呼ばれるようになりました。彼は地方に行って雨安居に入りました。三ヶ月の雨安居の終わりに彼が生地一枚を布施として頂きました。 出家は毎年必ず… |
| (139)錆びるときは、人生も錆びる <こころの汚れは、人生の錆です> こころの汚れ(錆び)について続けて考えてみましょう。「生きている」ということの意味はこころが働いていることです。肉体はただの物体なのです。しかし、この肉体の中で「生きる」という働きがあります。それは仏教で「こころ」… |
(140)無明は最大の錆 <こころ次第で何にでもなる> 今月も錆の話を続けます。「人生の錆び」は色々あるから覚えておけば役に立つのです。錆びない輝かしい生き方が出来るようになるのです。我々は身体(肉体)のことならよく気になります。少々体重が増えただけで、調子… |
| (141)善人はつらいよ <一攫千金の道は危険> 恥じらいの気持ちを持たず、何でもやれる人なら、高収入を得て生活することは難しくありません。短時間で汗を流さず大金を獲得する近道というならば、詐欺、人だまし、違法な風俗産業、恐喝、暴力、脅しなどです。しかし… |
(142)守りにくいから、戒という <人格者への道はまず道徳から> 在家信徒が五人いました。この五人は戒律を守り修行をすることに励んでいました。戒律といえば、沢山あります。一人に全部守ることは難しいのです。この五人は、自分好みで一項目ずつ戒律を選んで守ることにしました。… |
| (143)祝福論 <祝福は迷信ですか?> 互いに祝福や挨拶を交わす時期になりました。我々は習慣に則って新年の挨拶をします。でも、それに何か意味があるかどうかはそれほど気にしません。挨拶を交わしたところで互いに落ち着くのです。もし、何かの理由… |
(144)他人の幸・不幸が自分の悪業になったら <批判ばかりする人のこころは悪思考で満杯> ホラ吹きティッサの話 : お釈迦様の時代、舎衛城でのエピソードです。舎衛城には、アナータピンディカ居士、ヴィサーカー夫人といった大富豪の敬虔な仏教徒達がいて、毎日のように五百名以上の大阿羅漢達と他の比丘達… |
| (145)ブッダにも躾出来ない人 <悟りを妨げるのは人の習性> 釈尊は一切生命の偉大なる師です。神々も梵天も教えを請う「天人師」です。ただの師ではありません。人々を涅槃へと、幸福へと導く、この上ない能力を持つ「無上調御丈夫」なのです。釈尊の尊さは、いまも我々がその教えを… |
(146)悪人が他人を批判する <人間には判断能力がついていない> 花は香りと一緒に生まれ、皆に喜びを与えるもの。生命はその反対をしています。香りを持って生まれるわけでもないし、周りに必ず喜びと幸福を与えるという約束があるでもない。「肉体は悪臭を放つ不浄なものだ」とブッダが… |
| (147)最勝者はお釈迦さまです <ブッダは全面的に信頼できる> ブッダは論理的に立証しながら真理を語られました。理解も納得もしないまま、知らないものを信じることは、理性のある人間にとってよくない行為だと説かれました。もし人が信じるものを正しいか否かと確かめるならば、… |
(148)空に足跡なし <現象に対する無執着は解脱です> ブッダの教えに基づくならば、人の疑問に答えるのはそれほど難しいことではありません。疑問に思うもの、自分で解決できないもの、悩んでいるものなどは仏教に尋ねた方がよいのです。正覚者である釈尊の説かれた… |
| (149)思考さえも自由にならない <人間皆バイアスを持っている> マスコミのワイドショーなどは、この世で起こる色々な出来事の真相究明に必死です。犯罪容疑で人が逮捕されると、その人が何をやったかと、きめ細かく報道しますが、実際は拘置所で容疑者が何を喋っているか、検察側が… |
(150)口から漏れる放射能 <言葉は注意して使用する道具に過ぎない> 言語は人間固有のものか? 我々は、言語を使えるのは人間だけだと思っています。言語というのは長い歴史の間、徐々に発展したものです。多数の単語とその単語の並び替え方で、言語というものは成り立つのです。… |
| (151)真言の力は比類なし <法を知るとは、知識から体験へ進むこと> まずエピソードからはじまります。お釈迦さまの時代、一人の比丘がいました。彼は仏法をほとんど学んだことはなかったのです。しかし、ひとつの法門だけ聞いて、覚えていました。覚えていただけではなく、その教えの真意… |
(152)「虚ろな老いぼれ」と「年長者」 <無為に年を重ねるよりも徳を重ねること> 三十人ぐらいの比丘たちが森の中で修行していました。もう一度法を聴いて、修行のアドバイスを受けて至らないところを改めたいと思った比丘たちは、お釈迦さまに会いに出かけました。舎衛城の祇園精舎を訪ねて… |
| (153)人の価値を決めるリトマス試験紙 <売り込み能力に惑わされないように> あなたのとりえは何ですか? あなたのチャームポイントは何ですか? 何もないと返事せざるを得ないならば、とても寂しいものですね。本当に何のとりえもないと思っているならば、社会の立場から見ると問題です。社会の… |
(154)形の出家と心の出家 <道は世間に合わせることではありません> 出家(僧侶)には定められた生き方があります。俗世間的な生き方をしてはならないのは当然のことです。では出家に定められた生き方とは何なのでしょうか? 僧侶以外、みなその答えを知っているようです。むしろ、知らない… |
| (155)托鉢は乞食行ではありません <真理に達することで比丘になる> 出家した仏弟子たちのことは比丘と言います。それはパーリ語でbhikkhuです。サンスクリット語では、bhik2uです。サンスクリット語のbhik2という語根の意味は、施しを求める、困窮する、です。パーリ語のbhikkhati… |
(156)沈黙行とは黙ることではない <仏道とは聖なる沈黙行なのです> お釈迦様のことは釈迦牟尼仏陀と言います。今月は、この「牟尼」という言葉について話してみます。Muni とは、仙人、聖者という意味です。仏教はこの単語をこの意味で、解脱に達した聖者に対して使っています。しかし… |
| (157)人は名前に勝るべき <仏道は品格にすぐれた生き方> ある日、お釈迦様が舎衛城の北の門から托鉢にでかけました。北の方の川には、魚を捕って生活している漁師がいました。この人に悟りに達する能力があることを察知なさったお釈迦さまは、「ではこのまま、この漁師の… |
(158)達成感を味わう過程 <理性ある人は少々の達成感では足を止めない> 道徳・戒律の話を持ち出しただけで、世は仏教を「嫌なものだ」と感じてしまいます。逆に、「短い命だから、楽しく生きようじゃないか」と言われたならば、「待ってました、その言葉を」という調子で喜ぶ。道徳・戒律などはそんな… |
| (159)ブッダは宗教の革命者 <すべてを知りたい人は仏教を知る> 今月はテーラワーダ仏教徒がお釈迦さまの誕生と成道と般涅槃を祝う月です。要するに、世に仏教が現われたことを祝うのです。人類に初めて智慧の眼があらわれた月です。誰にも束縛されることなく、自分自身の力で… |
(160)正しく生きる道は一つしかない <微笑みが絶えない八正道> 生きるということは、「生きる」という言葉どおり、止まっているものではなく、機能なのです。行為です。動きです。瞬間とも、「止まる」ことはありません。生きることに限らず、この存在の中にある、物質を含む一切の現象は… |
| (161)無常とは最高の福音 <無常に逆らうことが悩み苦しみの原因です> 無常という言葉を言うと、「当たり前のことだ」という反応が決まっているのです。無常とは誰でも知っている、面白くもない言葉のようです。「ブッダが無常を語る」と言うと、西洋思考の人なら、暗い話だ、悲観主義だ、と思って… |
(162)生命の創造者は苦である <苦を知る人こそ苦を乗り越えられる> 「諸行は苦である」とは、有名なブッダの言葉です。正真正銘のブッダの言葉ですが、素直に受け入れられる言葉ではないと思います。そんなことを言われても、いろいろ楽しいこともあるのではないかと、つい思ってしまうのが… |
| (163)魂は巨大妄想の産物である <仏教の無我は因縁論です> 今月は、無我とはなんですか、ということを考えましょう。おそらくみなこの言葉を「われがない」という意味で理解するでしょう。そうなると、「なんだこれ?」という気持ちになりかねません。仏教の一般的な定義は、変化し… |
(164)悟れないのはなぜ? <こころに「怠け」という病がある> お釈迦様に真理を語られているのに、誰にでも簡単に実践できるように明確に指導されているのに、お釈迦様の教えに誰でも簡単に納得できるのに、語られたものが事実でないと未だかつて誰にも証明することは出来・・・… |
| (165)安らぎへの道は険しくない <安らぎへの道は険しくない> テーラワーダ仏教を実践する人々に共通する特色があります。それは、「仏道の実践はとても難しい」と思っていることです。解脱に達することなど、今世では「夢のまた夢」のような期待だと思っているのです。ですから、… |
(166)空虚な知識人 <人の中身とは解脱の智慧である> 仏教は信仰の宗教ではなく、智慧の宗教です。仏教徒は物事を信じるのではなく、理性をもって物事を観察するのです。経典を読んでみると、信仰を勧めるところは見当たりません。しかし、理性にもとづいた信… |
| (167)樹を残し森を伐(き)る方法 <組合をつくるから煩悩は怖い> 「森を伐採せよ。しかし、樹を伐(き)るなかれ。」これはお釈迦様のお言葉です。もし誰かが入れた言葉であるならば、無視することはできますが、この言葉はれっきとした釈尊の言葉です。分かりやすく明確に語ることも、特筆… |
(168)実践法の向きと不向き <冥想指導は簡単なものではない> お釈迦様から直々(じきじき)、説法を聞いて指導を受けた人々が、かなり速く最終解脱に達したというエピソードはたくさんあります。経典に記されたところによると、それが珍しいことではないのです。珍しいこととして記されて… |
| (169)計画的に生きる <理性があるなら捨てられる計画を立てる> 私たちには、明確な計画を立てないで生きることは難しいのです。しっかりした計画があれば、しっかりと生きることはできます。ですからわれわれは、幼稚園の時から計画を立てること、計画通りに生きることを学ぶのです… |
(170)安心という幻想 <命は不安で成り立っている> 人間は何も持たずにこの世に生まれる。それから、この世にあるものはすべて自分のものにしようと努力しながら生きて、結局は何も持たずに死んでゆく。それでも、このみじめな生きざまを認めたくはないのです。否定したい… |
| (171)不退転の仏道 <ウェーサーカ祭への祝辞> 仏教徒の新年 釈迦牟尼ブッダは、神々と人類に、幸福と平和をもたらすために、この世にあらわれました。ブッダの出現に勝るおめでたい日はないのです。まずスッドーダナ王とマーヤー妃の息子としてこの世に生まれた… |
(172)安全第一 <保障がないと人生は心配> 「安全第一」。このスローガンを初めて目にした時、意味がよく分からなかったのです。''Safety is numberone'' とそのまま英語の単語を入れても、何の意味も持たない言葉です。次に、はたと気づきました。これは、''Safety first''… |
| (173)苦労しないで楽に達する道 <保障がないと人生は心配> 「安全第一」。このスローガンを初めて目にした時、意味がよく分からなかったのです。''Safety is numberone'' とそのまま英語の単語を入れても、何の意味も持たない言葉です。次に、はたと気づきました。これは、''Safety first''… |
(174)憎しみを生きる力にしないこと <幸福を目指す人は敵を慈しむ> 戦争、テロ行為、経済制裁、抗議活動、暴力、おどし、脅迫、いじめ、侮辱、非難、殺し、喧嘩。これは現代人が何かの目的に達するために使う手段のリストです。国の発展と平和、民族の自由、信仰の自由、会社の成長… |
| (175)やるべきことを妨げる、やりたいこと <感情で生きる人生には理性の出番がない> すでにご存じのことかもしれませんが、私たちは世の中のことを何でも、三種類に分けてみるのです。その三つとは、(1) 好きなもの、気に入るもの。(2)嫌いなもの…。(3)好きも嫌いも…。これは「もの」で終わらないのです… |
(176)解脱は大革命です <解脱に逆らうこころの葛藤> たとえ仏教徒であっても、解脱をしたいと真剣に思う人々は少ないのが事実です。これを言うと、必ず仏教徒の反感を買ってしまうのです。それでも解脱を真剣に目指す人々は、少ないのです。冥想に挑戦する人々は… |
| (177)昏睡状態から目覚めて生きる道 <清らかなこころは最強のお守りになる> 仏法僧に帰依している人は、呪文のごとく常に「ブッダに礼拝しますnamo(ナモー) Buddhâya(ブッダーヤ)」、「法に礼拝しますnamo(ナモー) Dhammâya(ダンマーヤ)」、「僧に礼拝しますnamo(ナモー) Sanghâya(サンガーヤ)」… |
(178)隣の芝生は確かに青い NEW !! <不満を増やす妄想の悪循環を破る> 隣の芝生は青く見える。このことわざは、我 々の生き方を表しています。自分が持っているものではなく、持っていないものに対して未練を感じる、羨ましくな る心理状況を表現しているのです。仏教の角度から見ると、この… |
| (179)愚者は尊敬を期待する <エゴを無くすことが尊敬に値する> お釈迦さまが住んでいた国から遠く離れたマッチカーサンダという地方に、チッタ(citta) という居士がいました。彼は在家信徒の中で智慧の第一人者でした。お釈迦さまに会ったこともなかったのに、サーリプッタ尊者の説法を… |
(180)お釈迦様と効率主義 <ブッダに気付かれることほど名誉はない> こころ清らかな人は、たとえヒマラヤ山脈の奥地のような遠いところに居ても(そばにいる人のように)簡単に分かります。しかし欲に眩んでいる人は、夜に放たれた矢のごとく、そばに居てもその存在は感じない。これは今日の… |
| (181)修行は独りでおこなう <独居修行とは精神の自由> 独りぼっちになるのは嫌なものですね。歳をとって、体調も悪くて、田舎で独り住まいするようになったならば、なおさら心配することでしょう。若者にとっては、一人暮らしはかっこいいことです。それは親の管理から自由にな… |
(182)名声の落とし穴 NEW !! <ブッダは非難を名声に変える> 社会の名声を受けることが一概に喜ぶべきこととも言えないのは、必ず危険が伴うからです。お釈迦様の名声は、伝道活動を初めて間もないうちに広まりました。コーサラ国王もマガダ国王も仏教徒になり、富豪の商人たちも… |