人類は、その歴史が始まって以来、二つの大きな悩みとともにその人間史をかたちづくってきたと言っていいのではないでしょうか。
二つの悩み、それは肉体の病いと心の病いです。 しかし、肉体の病い、即ち病気は科学や医学の進歩によって今日では、不治と言われる癌までも克服しようとするまでに発展を遂
心の病いは人類全体、いや仏教思想の立場から言えば一切の生命体を悩ませている重大問題なのす。
心の問題と言いますと私たちはすぐ精神的問題を想起しますが、それは医学の領域で今日では精神医学もまた急速な進捗
ちょっと思いつくだけでも挙げてみましょうか。 貪欲、慎恚、無知、嫉妬、恨み、不満、不安、恐怖、無気力、怠惰、ストレス、退屈、苛立ち、葛藤、不愉快、羞恥、高慢、失望、劣等感、頑迷、被害妄想、誇大妄想、躁鬱、緊張、野望、不信、後悔、罪悪感…そうです、みなどれも自分を苦しめた感情として覚えがあるでしょう。
釈迦尊は、この心の病いに対して「心の汚
ところで仏教では、この『煩悩』には何と千五百もの種類があるといっています。 「汚れ」が心の病いをつくるとすれば、千五百の「汚れ」の組み合わせによって心の病いは相当な数になります。
「身体の病いに悩まされない人はこの世にいますが、心の病気に悩まされない人はひとりもいません」という釈迦尊の言葉もむべなるかなというものでしょう。 それだけに「心の汚れ」の問題はこの世を生きる人間の最大重要事で、心がどんなふうにして『煩悩』という細菌に冒
汚れはどこで発生し、どこからあなたのなかへと入りこむのでしょうか。
身体の病いの場合は外部からも内部からも原因が発生しますが、心の汚れはあなたの内部、心のなかで発生する以外原因はあり得ないのです。 物体と生命体の厳とした違いがここにあります。
生命体は自分の存在と外部(環境)の存在を察知することができますが、物体にはそれができません。 それが「心」というものの働きなのです。 諸感覚器官から入る情報から心は刺激され、「感じる、知る、認識する、存在感‥」というプロセスを経て判断していきます。 情報そのものには、心を汚すものや心を清める作用をするものはいっさい含まれてはおりません。 その情報に刺激され、心を汚すのも、清めるのもすべては自分の生命体の独自の判断、態度に委
皆さんの前に宝石を置いたとしましょう。 人々はどう思うでしょう。 多分、「わあ、きれいね」 「ああ、欲しいな」 「高価で手が届かないわ」 「ずいぶん高そう。一つあったらお金持ちになれるのに」 「こんなもののどこがいいのか全然分からない」 「フン、宝石なんて関心ないよ」 「盗まれないように注意しなくては駄目だぞ」……。 視覚という感覚器官が皆さんにもたらした情報から皆さんのそれぞれの心が判断した感想というものはだいたいこんなところでしょうか。 しかし、これだけさまざまな感情をもたらしたにも係わらず、宝石という物体そのものには何らの意思がありません。 感想は皆さんのそれぞれの心の判断によるものだったのです。
でも、対象というものはほんとに意図的な心を動かす意思というものを持っていないのでしょうか。
例えば、本、音楽、映画、学問、そしてまたいまこうして皆さんがお読みになっている法話などはどうでしょう?
もっと身近に例をとれば、ある美人があなたを誘惑するために意図的にいろいろと手段を講じたとします。
誘惑されるか、されないか。 あるいはその美人を嫌いになるか、誘惑されまいとして他のことへ心を集中させていくか、あなたの心は千々
こうした疑問に対して、釈迦尊はこう説かれます。
「煩悩は外に存在する諸々の対象ではなく、人の心のなかにある概念一想念(sankappa)です。外に存在する美しいものは“欲”ではありません」
では、感覚器官から入る情報を遮断すれば心の汚れを防ぐことはできるでしょうか、心の汚れとなる原因を培養せずに済むのでしょうか。 それは残念ながら否です。 情報の遮断はまず絶対に不可能です。 たとえ理屈の上だけでも情報を遮断できたとして、しかし汚れる状態の「心」はその汚れる状態のまま放置されているということになりはしませんか。
ですから、今度は他の情報に刺激され、「心」で識別作用が行われ、それによって新たな愛着、憎悪といった感情が芽生え、汚れを次々に培養していってしまうという心の病いを作っていきます。 心の汚れは、その汚れの種類によって感覚器官によってもたらされた情報を歪
識別作用の刺激を受けた心が、いつも正しく、ありのままの姿として情報を促えていく、それが心の健康の唯一の治療法ですが、そのための心の修養としての方法はヴィパッサナー冥想法しかありません。 つねにありのままを観る習慣を、この冥想法で身につけてください。 すべての外界の情報に対して、また識別作用に対して気づくサテイ(Sati)を怠らないことです。
それは、煩悩という雨に濡
● すべての外界の情報を心で促えようとするとき、まずこう考えてみましょう。