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9.「ヴィパッサナー実践の心構え」

<A・スマナサーラ長老>

2002.1.20 於大阪国際ユースホステル

 ( 初めて辞書の引き方から教わった宿泊パーリ語勉強会。 翌朝勉強会の準備して先生をお待ちしていたところ。
一言、“パーリ語は午後に勉強しましょう” で始まりました。)

 皆様おはようございます、これからVipassana冥想にいたします。

インドの古い迷信によりますと、午前中というのは、大変幸福な時期なのです、午後よりも…。
朝3時4時から昼までということで。

まあその迷信にのって(笑)、 午前中一所懸命冥想してみましょう。
昨晩はじめて指導受けた方々も、今日は歯を喰いしばって説明した通り頑張ってみて下さい。
修行のポイントとして言いたいのは、一旦修行はじめたら「では終了しましょう」と私が言うまで、徹底的に実況中継に徹してください。

 一本の鉄の棒のようにキチンとやってみてください。
どんな思考も考え方も入らないようにと厳密に自分の心を守ってみてください。
家のことやら、仕事のこと、自分のことやら、過去、現在、未来、将来、まあ宇宙のこと等、そういう思考等は本当に「汚物だ」と思って下さい。

何か考えちゃうと何ひとつそちらには、真理がありません。智慧でもありません。思考は無知から発生するものです。
思考について説法するとき、また色々説明しますので、まあそちらで分析しなくっちゃいけないんだけど、大雑把に言えば、思考そのものが無知から現れるものなんです、あるいは怒りから、欲から。ほとんど無知からあらわれるものです。

ですから思考そのものは、有難いものじゃ無くて単なる汚物なのです。
じゃ、それがいっぱい頭の中に溜ってたまって、いい顔できますかね。 汚れているんですよ。
 ですから我々はそこで、厳密に鉄の壁を作って、心の中に汚物が漏れないようにしておくんです。汚物は危険なものだから、そういうものを心に積み込むと心はドンドン堕落するんです、成長はしません。
それで鉄の壁を作って城壁を作っておくと心はみるみるうちに成長する。

心が成長するためにはほんの瞬間だけでも十分です。すべて瞬間のものだから。
この瞬間を我々は心に与えてあげないんですよ。1秒の1万分の1ぐらいの瞬間で十分です。その瞬間を心に与えてあげないでズーと、この貪瞋痴で、思考で責めているのです。
輪廻というのはそういうことで長くなるのであって、たいした大変なことと言うわけでも無いのです。

ですからほんの1秒だけでも (笑)
心に何も思考が入らないような瞬間をつくられるように…、という事で徹底的に頑張ってみて下さい。

 修行はそんなにむつかしい、体力消耗するきびしいものでもないのです。
そのかわり厳しく頑張って守っていただきたいのは、この実況中継して“今”の瞬間に心とまってもらう、それしか無い。
ですからこれから修行始めたら、その瞬間からズーっと実況中継、命かけてやるんだよ、と。

我々は、なにかロープでつながれてすごく険しい崖に半分位降ろされているんだ、だったら自分の命もあのロープが切れたら終わり…、実況中継はそれくらいの気持ちでやってください。
これ手離しすると、妄想しちゃうと、もう命が無くなったというくらい、それくらい真剣におぼえておいて下さい、いわゆる心構えですからね。
それくらいの気持ちでこれから実況中継頑張ってみて下さい。(終)

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