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8.「講演会後のQ&Aから」〜思想・妄想〜

<A・スマナサーラ長老>

● 講演会「“考える”人は、“苦しむ”人」
   〜人はなぜ“考える”のか?〜
         

 (2001年12月、かやの木会館) <講演会後の質問からの法話です>

Q:
 思考は自動的にコントロールできるものでしょうか?

A:
 論理的には思考はコントロールできます。それは説明しました。でも我々の場合は、思考というよりは、感情がゴロゴロと流れているんですね。
たとえば怒ったら、怒り、怒り、怒り……と、ずーっと続けちゃうでしょう。
人のことを嫉妬すると、永久的に嫉妬してしまうでしょう。ですから、感情というものは、たちが悪くてなかなか消えないんですね。ですから、思考と感情が密接に繋がっているんだから、みんな自己コントロールできないと思っているんです。

 でも、思考だったら、いとも簡単に行動できます。でなければ、学校で勉強できませんよ。チャイムが鳴ったら「1時間目は国語です」とかでしょう。どうやってあれできますかね? 「3時間目は音楽です」といったら、理科系であろうと、行って音楽やるんではないんですか? 思考のコントロールできなかったら、学校は成り立ちませんよ。だから、思考の監督はできます。

 我々にできないのは、感情が流れる、それに言葉がついている。そんなものは思考でも何でもないんです。そこらへんが難しい。

 「あの人はこういうことを言った」とかね。いつでもこういうことをするんだとかね。と、考えたりするでしょう。あれは考えているのではなくて、感情が流れる。感情に言葉を使う、ということ。

 わかりにくければ、もう少し説明します。

 人間は、2種類あります。頭に言語がべったりとくっついている人と、それほど頭が言葉を使っていない人がいるんです。

 たとえば、学校へ行っても、あまり勉強をしていない人々、ただ田舎で牛の面倒をみている男がいるとします。
その男は、義理で高校を卒業したぐらいで、別に勉強していない。だったらあまり考えていないでしょう。
そして、その人が怒ったりします。怒ったら、単純で、ものすごく怒っているだけで、すごくかわいいんですよ。
「あいつが怒ったぞ」と。それでちょっと時間たてば、もう怒りが消えちゃう。それでニコッと笑ってくれる。「ごめんね、じゃあ忘れて遊びに行こう」と言ったら、遊びに行ってくれるんですよ。
 そこで同じ年の人で、すごく勉強して、世の中のことをよく知っている人が、怒ります。
その人は、その怒りについて考えるんです。「何であの人は、あんなことを言うんですか」「ダメではないか」「私をバカにしているんではないか」と。その人の怒りは消えませんし、あの思考も消えないんですね。仲良くもしてくれない。「きれいに水に流そう」と言っても、そのことについてまた考える。「水に流そうって何なのか」と。 だから、言語をすごく使う人にとっては、不幸もいいところで。

あまり言語使わないんですけど、人間は感情流れますから、怒ったら怒ったで、「まぁ仲直りしよう」と言ったら、「はい、わかりました」と言って仲直りしてくれる。

 だから、思考には危険なところがあります。そこで、感情が流れると、感情といっしょに言葉もついていると、言葉というのは、いくらか論理のように見えるんだから、言葉が次から次へと感情を引き起こしちゃう。
 感情が感情を生み出す場合は、怒りが怒りを生み出す場合は、エネルギーある限りで、それでどんどん消えてしまうんです。

 だから、田舎で牛の世話だけしている男が怒った場合は、ちょっと放っておけばいいんです。10分ぐらいたったら、「まーいいよ」と言ってくれるかもしれません。

 学校に行ってきちんと勉強している男だったら、まぁ10年ぐらい待たなくちゃね。
なぜかというと、怒りに言葉を使うでしょう。言葉を使えば、言葉に感情ついているんだから、ずーっと続いてしまうんですね。複雑なんですけどね。

 たとえば、ケンカの言葉でも、持っている人は危険ですよ。喧嘩する時に使う言葉がありますね。単語を持っている。それで、怒った。怒って言葉を使うとどうなるんですかね?
言葉が怒りを持っているんだから。本人が怒るよりも、何倍も怒りが増える。相手にその言葉が伝わると、その相手にも怒りが生まれてくるんですね。それは、思考の問題なんですね。思考するんだから。

 それで、怒って喧嘩をしたいんだけど、あまり勉強していない状態だったら、なかなか言葉が出てこない。「もー!」とか、何かうなっているうちに、怒りがどんどん消えていきますから、またニコッと笑う状態になるんです。

 子供が、怒ってもすぐ笑ってくれるのはそういうわけで、言葉を持っていないんです。すぐ怒って、すぐ笑ってくれる。またすぐ怒って泣く。長持ちはしないんですね。
そういう子供に、言葉がどんどんついてくると、ものすごく長持ちするようになるんです。一生人を恨むような人間になるんです。それは、言葉の問題。でなきゃ、感情はエネルギーが消えたら、死んじゃいます。
 

Q:
 自動的に起こる思考のパターン、癖などを、よりよい方向に向けるようにするにはどうしたらよいのでしょうか?

A:
 この質問自体成り立ちません。
「自動的に起こる思考のパターン」というのは感情であって、思考ではありません。
ただ言葉がそれなりに繋がっているだけ。だから『妄想』という言葉を私は使っているんです。
私は、『妄想』と『思考』は、言葉を分別しているんです。
 『妄想』は、非論理的で、終わりなく同じものを繰り返して繰り返して繰り返して…、またまたまた…、何回も、無数に繰り返す。
 『思考』は単純で、外を見たら雪が降っていると。アー何かしよう。それで終わっちゃう。だから、『思考』を自動的につくることは問題です。思考はちゃんとデータがあって、生まれるものであって、終わりがあります。
たとえば、数学の問題を解く。そのときは思考しなくちゃいけないんですよ。いろんな論理方程式にのっとって。それでその思考を働かせて、1日かかるかもしれませんけど、問題を解いたらストップなんです。それからはきれいさっぱり忘れちゃうんです。あの苦しみも何でも。解いたんだから。「じゃあもう一度説明して下さい」と言ったら、本人は1日苦労したかもしれませんよ。解決法見つけるために。でも10分で、こういうことですよと、教えてくれたりもします。それが『思考』であって、自動的ではないんです。きちんと管理して、データにのっとって起こるものなんです。

 そこで、管理がなくなると『妄想』になるんです。その場合は、感情がでてくるんです。それで延々流れちゃう。

 それで『思考』を良い方向へ流したければ、答えは2つあります。感情をやめること。たとえば、「数学の問題を解きなさい」と言って、1回やってみて、もう1回やってみて、うまくできない。そうすると「こんちくしょう!何で答えがでてこないか!」「アー嫌だ!」とか思っちゃうと感情でしょう。こうなってくると、もうだめなんです。だから思考の世界にも、必ず感情が入ってくる。

 そこで2人で競争すると、「あの人より先に解いてやるぞ」と思うと、感情なんです。それで思考自体が、自分で想像しなかった方向へ展開する可能性があります。

 ですから『自動的に起こる思考』というのは、『妄想』です。自動的に概念が流れている場合は、感情をストップすれば問題は解決します。あるいは、厳密に論理的になる。いわゆるすごく論理的に、合理的に考える。そのどちらかなんです。何かあったら「証拠はありますか?」と聞くように癖をつける。

 昨日、『磁石人間』の質問がありまして、私もそのテレビ番組見ていたんですけど、その場合私がすぐ言ったのは、「磁石人間がいるかいないかはわかるわけではない。テレビで見ただけだから。パウダーを身体に塗ってもらってから、いろいろ金属を引っ付けたなら、なるほどなあと思います」と、そこでストップするんです。
「あー困ったなあ。なんで磁石人間がいるんでしょうか」とか、それだったら妄想ですよ。そこまで困りたくない。自分が。エネルギー無駄にしたくない。ですから瞬時に論理的に考えて、自分の思考はストップする。

 ですから、我々の場合も、いろんな感情が流れてきて、「本当に証拠ありますか? そういうふうに考えるために」と、自分に問うてみる。テレビやニュースや新聞や雑誌なんかは、何かできごとが起きたら、犯人をいろいろ組み立てるでしょう。マスコミによると、犯人はAさんなんですけど、警察は全然腰をあげませんね。
なぜかと言うと、警察は100パーセントの証拠にのっとって動くんです。ただのマスコミのうわさでは動かないんです。そんな感じになったほうが、余計な思考は、いい方向に流れるようになるんです。ですから答えは、感情を止めるか、厳密に論理的な人間になるか。どちらでも簡単ではないんですけどね。
 

Q:
 コントロールできる思考と、できない思考がありますか?

A:
 これも、前の質問と同じことですね。感情で思考が湧いてくると、私はそれを『妄想』という。それは本人にはちゃんとコントロールできない。ちゃんとアドバイスがなければ。先輩がいて、善友がいて、その人がたたかない限りはできませんね。感情で、妄想が流れてくる。

 コントロールできる思考というのは、普通に勉強したりして得られる、科学的な情報にのっとって得られるデータなんです。それは本を読んだり読まなかったりしているでしょう。テレビのニュースを見たり見なかったりするでしょう。それが、思考のコントロールなんです。「アフガンは今どうなっているんでしょうか」と思ってニュースを見る。それについて考えたければ、「こういうことだからこうなるでしょう」と考えてそれでストップするんですよ。延々と、寝られないぐらいに、それについて考えるということはないんです。

 ですから、コントロールできる思考というのは、ちゃんとした『思考』であって、できない思考は『妄想』なんですね。
 

Q:
 事実からかけ離れた妄想、想像、空想、今やっていることから脇道にずれ、寄り道する。雑念、いろいろなことを、論理的に合理的に考察すること、これらは微妙に違うようですが、どのように対応すれば幸福になりますか?

A:
 感情の思考は、結局『妄想』でしょうし、『想像』というのもあてにならないものなんです。
『空想』は空想で。でも仕事は別です。たとえば小説家とか、漫画家とか、その場合はある具体的なところでひっかっかっているんだから、それなりに論理的にストーリーをつなげていかなくちゃいけないんですね。
 たとえ空想して、いっぱい怪物を想像してストーリーを作っても、すぐ終わりがあるんですよ。
だから芸術世界の空想、想像というのは、空想・想像というよりも、管理の中なんですね。だから芸術だから想像性が必要ですといって、なんでも想像できるかといってもできないんですよ。芸術家に限って、想像するのはものすごく難しいんです。だから芸術家の『想像』というのは、かなり科学的な機能なんです。たとえば映画を作る人が、次に何かばかげたことを考えて、映画を作る。あれこれとバカなことを考えることはしませんよ。考えても実際に映画化できるかできないかという問題があるんだから。だから、エイリアンがいるんだとか、何かが来て地球を戦略するんだとか、ばかげた映画いくらでもあるでしょう。でもその人々は自分の能力の範囲で、「こういうコンピューターができたんだから、こういうものを作りましょう」ということになるんです。「こういうプログラムができたんだから、こういうことをしましょう」ということで、天才芸術家の想像と、我々の想像とは、分けたほうがいいんです。

何一つも芸術作品作らない普通の我々は、すごい想像をするんですね。これがえらい危険なんです。
そういうふうな区別はあります。ですから、想像は、芸術家に限ってはすごく難しいんです。遊びじゃないんだからね。本や小説を書く人にとっても、推理小説を書く人にとっては遊びじゃないんです。すごい研究しなくちゃいけない。だから想像・空想するのは、すごく難しいんですね。それは『空想』というよりは、仕事なんです。だから、ある面で、それなりの俗世間の『思考』だといっても、けっして悪くないんです。だって管理の中だから。終わりもあるしね。

 脱線して、脇道にいって『妄想』するのは、普通の私たちなんです。それは感情で、脱線するんですよ。食べる菓子のことを考えて妄想はじめたら、外国旅行で終わるかもしれませんし、あるいは天地創造論で終わるかもしれませんし。
はじめは「この菓子はちょっと硬すぎる」ということかもしれません。
それから「硬いといえば、この間食べた○○はえらい硬かった」「その人はねこの前アフリカに行ってきたんだよ」「アーそうですか。アフリカといえば人間の発祥地ですね」「人間というのはどうやって生まれたんでしょうかね」…と、天地創造論にいくんです。はじめは自分のとった菓子がちょっと硬く感じただけなんですけど。そうやって脇道、脇道に行って、役に立ちませんね。

 だから、どういうふうに対応すれば幸福になりますか? というのは、『管理』したほうがいいんです。『想像』するのなら、小説ぐらい書きなさい。いろんなことをイメージ、想像するんだったら、絵ぐらい書きなさい。書けないんだったら黙っていろと。私は絵は書けませんから。そういうイメージ的なものは。間違ってでも想像しません。面倒臭いんですよ。どこ行くかわからない。しません。
 

Q:
 思考に頼らないで生きられますか?

A:
 思考に頼らないならば、生きていられます。思考に頼ると、限りない苦しみに陥ります。
苦しみは、思考の結果なんです。『妄想』と『思考』という二つの言葉を私は使っていますが、今日のテーマは、脳のはたらきと全部まとめたんだからね。
 

Q:
 まったく思考することなしに、記憶、経験、学習などを整理して、アイデアを生みだしたり、個性、特技を発揮することはできますか?

A:
 『思考することなしに』ではなくて、『妄想することなしに』なんですよ。
限りなく妄想すると、同じところで回転するんだから成長はないんです。
『思考』というものは、一本でいくものですよ。『妄想』は回るんですね。だから、数学の問題を解きなさいと言ったら、できる人は順番にやって一本でいくんです。一本だから終わりがあるんです。この一本がちょっと曲がると、ぐるぐるぐると回っちゃうんですね。だから、認められる思考は、はじめがあって終わりがある。それで結論がでて終了。それで頭からきれいさっぱり洗っちゃう。

 なかなか頭から消えない、焼きついているものは思考ではありません。それは『妄想』です。『感情』ですね。それが絶対毒。『まったく思考なしに』といっても、世の中のことは。

 そこで『記憶』という言葉、記憶は思考だと思っていますけど、それはちょっと違います。今日はそのポイントにいかないと思ったんですけどね。

 『経験』 
妄想があると経験はできないんですよ。なんで子供が世の中のことをすぐに勉強して、1年、2年、4年で何でも上手になってしまう。
大人になると、いくらふんばってもできない。なぜでしょう。子供は1年で完璧に日本語を習って勉強する。多国語の環境におくと、4つでも5つでも言葉を勉強しちゃう。そして母国語のように同じ力でしゃべる。ちゃんとわきまえて。子供にとってバイリンガルというのはどうってことはない。それぐらいあるのに、いったん大人になると、まったく不可能というぐらい難しいんですね。なぜでしょうか?
 何か邪魔になっているんです。経験なんです。もう日本語の経験をもっています。『経験』がすごい邪魔になっているんです。

 だから何も考えないで『経験』すると、そのまま身につくんです。思考で経験すると、経験にはなりません。今の年でも英語ぺらぺらになりたいと思うならば3ヶ月間でできますよ。
子供の頃と同じくなんのことなくぶつかってみる。頭で思考しないで。でも大人は思考する。それでできなくなる。日本語で考えて、これは英語でどう言えばいいかと。英語ではそんな言葉さえもないんです。「ごちそうさま」と言いたいんですけどどう言えばいいんですか?
 ないんですよ。言ったとしても変な英語で。英語をしゃべる人は「ごちそうさま」とは言いませんから。ですから自分の経験なしに、ぶつけると完璧にしゃべれるようになります。

 だから、思考には経験が邪魔する。それで我々の知識の発展にも邪魔する。思考といってもいろんな余計なことを考えてしまうこと。学習も同じことなんですけどね。

 『特性』『特技』『アイデア』とか、みんなすごく好きでしょう。もしできればね。
でも考えてみてください。できないんですよ。「アイディアだしてやるぞ」と思ってみてください。ぜんぜんでてこないんです。『私の個性』というのはでてきません。個性というのは個性だから、別に頑張る必要ないでしょう。何をやってもそれは個性でしょう。

 特技とかアイデアをだしたければ、考えないこと。
考えると、脳の力が全部なくなっちゃう。エネルギーが無駄になる。新しいアイデアが欲しければ、頭をすごくきれいにして、頭をリラックスさせることなんです。リラックスさせるためには、あまり妄想しないで、思考もしないで、あまりにも言葉で頭をいじめないで、おいておくことなんです。

 私の秘密を一応言いますけど、考えるときは言葉を使わないでください。そうすると1秒以内で、他の人が1年かかることを考えられます。
それぐらい速さがなければ、知りたいことを全部知り尽くすことはできません。問題は、自分知っていることを語れますかというと語れません。だから、言葉なしに考えることを習えばどうですか?
 その機能はみんな持っています。先に考えて、それに言葉を貼るんですよ。普通の人々の場合は、言葉を貼らないときれいに思考がでてこないんです。言葉を貼らないで、思考をきちんと整理することができれば、瞬間で成り立っちゃうんです。あまりにも速い。それから結論が出た。それを人に伝えようとすると、言葉を貼るんでしょう。すごい時間かかる。だから言葉というのはものすごいスピード落としちゃうんですよ。考える世界では。

 光の速度で動く物体を、強引に何かにつなげておくと、何か動く電車とかね、何かに繋げちゃうと動かないでしょう。ですから、言葉というのはものすごいハンディなんです。本当に考えたければ、言葉から離れてまず考えて、結論をだしておいて、それから言葉を入れる。一人一人が自分でやらないと難しいことで、これ以上はしゃべりたくないんですけど。たくさんのできごとを考えて、いろんなことを理解して、総合的に、幅広く、いろんなことをわかりたければ、言葉を使わないことなんです。

 その場合、『知っていることは多くしゃべらない』ということが出てきますけど、そこを納得してもらわないと。何でもわかって欲しいという気持ちの人にはできません。
 

Q:
 思考に頼らず、正しい、有益な決断、決定ができますか?

A:
 有害な思考と、有益な思考があります。思考を直す方法として、お釈迦さまがおっしゃっているのは、人間は何を考えても欲のこと。怒り、嫉妬、憎しみのこと。あるいはダラダラとどうでもいいくだらないこと。この3つでしょう。
たとえば商売のこと、家族のこと、仕事のことを考えると、欲中心でしょう。ライバルのこと、いやなことを考えると怒り中心でしょう。それがなければダラダラと無知のことを考える。それに必ず感情が付いているんです。どうにもならないんです。

 会社のこと考えて考えて考えすぎているんだから、なかなか答えがでてこない。疲れちゃうし。だからみんな「疲れた」とか、「ストレスたまった」とか言ったりする。

 それを直す方法は、貪瞋痴の思考を直すこと。お釈迦さまは、貪瞋痴の反対の思考で、ネッカンマサンカッパ(厭離)のことを考えてみてください。
仕事して、家族養って、金儲けという世界ではなくて、何も持たないで自由にいる世界はどうでしょうかと。
何も持たなくても楽にいるんではないか。持つ方が苦しいんではないか。というふうに欲を抑えてみるんですよ。
だって1円も持っていない猫は楽にいるでしょう。食べるものにも、寝るところにも困らないで。金持っている人間は、食べるものにも、住むところにも困っているし。仕事がある私たちは、仕事クビになったらどうしようと困っているし、仕事をしていない猫はぜんぜん明日のことは困らないんです。これでうまくいっているでしょう。

 我々にとって、不安や苦しみは、持つことから生まれたんですよ。
仕事がある、給料があると、持つ世界が現れたんですね。家を持ちましょうと。この『持つ世界』が現れると、「もっと持たなくちゃいけない。たくさん持たなくちゃいけない」と、欲の世界がでてくるんです。それは思考のことで。その思考は危険で。逆の思考、本来の思考は、持たない世界が幸せで。事実はどうでもいいんですよ。仕事を持たなくちゃ生きていけないというのは事実かもしれませんけど、そんなものは放っておいて、思考としては『持たないこと』が正しいんだと。と思考を変えてみる。

 それから、怒り、憎しみの代わりに、生命は幸せでいてほしい。誰でもいいんだ。けんかするなよとか、仲良くしましょうとか。たとえば会議をやっているときは、「どうすればみんなうまくまとめてくれるでしょうか」とか、「どうすればみんなニコッと笑ってくれるでしょうか」とね。「あー今日はよかった、楽しかったという答えにするぞ」と。そうやって、平和、豊かさ、楽しみ、幸せに、思考を変えてみる。それも感情だから、やろうとすればできます。みんな仲良くなって笑っているのは気持ちいいものでしょう。だから感情につながりがあります。

 それから、無知。ごちゃごちゃと考えるんではなくて、すごく智慧のきいたことを考える。
インテリのゲームがありますね。クイズやパズルとか。それをやっていると気持ちがいいでしょう。たとえば将棋とかね。将棋はチャンスゲームではないでしょう。サイコロでやるのがチャンスゲーム。うまく転がってくれればついているし、いい数字が回らなかったらついていないということで。将棋の場合は、思考の勝負なんですね。

 そのように、いつでも何か智慧のきいたことを考える。そうすると自分にとってはすごく気持ちがいいんです。私は電車に乗っていると、宣伝や広告は全部読む。できるだけ全部。あきらかにバカバカらしいことだと思うかもしれませんが、読むために出しているんだから読んであげなきゃということもあります。そうですか、とそれだけでは終わりません。それなりに自分の頭の中でゲームをやります。智慧のゲームは。でも電車降りるときといっしょに全部思考もおろしちゃいますからね。

 時々誰かといるとき、言いたくはなるんだけど、これを言うとすごく時間がかかると思ってやめます。この前大きな宣伝がありまして、ひよこの絵があって、学校の宣伝かな。ひよこが怒っているサインが目の上に1つあるんです。というか情けないというか。それで言葉で『それにしても野心家である』と書いてあります。これすごくかわいくて気に入ったんです。ひよこなんですけど野心家なんです。人間の感情とかをうまく合わせたんです。それですごく難しい絵でも何でもない。ただ一本の線で。怒っているか、泣いているかわからない。でも気に入ったんです、とにかく。今思い出したのはそれだけなんですけど、それを2,3回見たんだから思い出したんですけど。そうやってちょっとした智慧のきいた遊びをしてみる。どうでもいい話は絶対にしないこと。それから世間話、うわさ話はまったくしないこと。それはやめて、クイズとかちょっと智慧のきいた。

 そういうふうに思考のパターンを変えると、かなりいい方向にいくんです。わかりやすく言えば、『慈しみの思考』を持つということ。『すべての生命は幸せであるように』と我々の思考を変える。

 それから、決断するためには、考えなきゃいいんではないかと。何か決断するためにはどうしますかね?
私の大胆な答えは、考えて決断してはいけません。考えて決断すると、それは間違っています。
決断というのは、答えが1つしかないんです。だから本当は決断に困らなくてもいいんですよ。そこで考えて考えて、悩んで悩んで、「じゃあこういうふうにします」というのは、それほどいい決断ではないんです。

 自分が離婚しようかと悩んでいる。
私が言ったのは、どちらでもいいんだよと。言ったら結局怒られたんだけどね。
でも私はちゃんと答えを言ったんですよ。
 だから正しい世界というのはものすごい単純なんですよ。それで「離婚しようか」と相談にのったことは、本人が自分で判断できない。なぜならば、その人の頭の中で「いっしょにいる」ということを計算する。そうするといっぱいマイナス点が見えてくる。それで「離婚するしかない」と。そこで離婚したことを考えてみる。そうするとマイナス点が見えてくる。だったらその人はどちらにしても同じことなんですよ。
 そこで私がその人に「やっぱり離婚するよりは頑張ってください。仲良くしてください。やめなさい」と言うと、「じゃああなたの話にのって離婚やめます」というんだけど文句言うんです。だってマイナス点はそのままでしょう。その相手が金の無駄づかいとか、アルコール中毒とか、依存症というのは女性にも男性にもあるんだからね。それで「あなたが言ったから私はずっと苦しむことになった」と文句聞くことになります。
 では「離婚しなさい」と私が言ったならば、それで相手の収入に頼って生活したならば、あるいは何か問題があってひとりで生活できない。お金の問題ではなくて、他のことで一人で生活できないとかね。そういうことがあったから苦しみながらでも一緒にいたんだと。それで離婚したら一人になるでしょう。そうするとお金は自分で稼がなくちゃいけない。一人でいられなくなって苦しくなって、「離婚しなければこんなに苦労しなくてもすんだのに」とまた文句言うんですよ。

 ですから、その人から見れば、プラスマイナスを計算してみれば、どちらにしても同じ結果なんです。その場合はどちらでもいいんだから、「どちらでもいいんだよ」ということなんです。「それではダメです。どちらかに決めてください」と言うと、「それだったらコイン1つ投げてみてください。表なら離婚、裏なら一緒にいる」 それは笑い話ではなく、事実はそんなものなんです。

 そこで、一緒にいたらもうダメだと、もう別れるしか道がないと思ったら離婚するんですよ。私に相談する必要はないんです。即座に離婚する。その場合は、淡々と「いつしますか」と。一応荷物整理があるんだから3ヵ月後とか。ものすごく簡単になるんです。だから、考えた末の決断と言うのは、どうでもいいんです。そんなものは。情報がないんだから考えているんですよ。

 だから、生きる上では、決断に困る必要はないんです。「やることはこれしかない」とでてきたら、それをやればいいでしょう。
選択が3つあって、どうすればいいかとその人が困るんだったら、どちらでも同じなんです。
それで選択3つのうち、ちゃんと順位が付けられると、だったら困らないでしょう。だったらこれにしますと。すごい簡単です。そこで選択が3つあって、困ったなあと言うと、それは3つとも同格なんです。消去法しても、全部同じ点数になったら、この場合はコイン2回投げることになりますけどね。1と2のどちらにしますかと。3と4のどちらにしますかと。それから残ったもののどちらにしますかということになるんです。

 思考の世界で、みんな判断することはすごい困ったりしています。私はそれなりに政治家も知っていたことがありましたし、日本で活動はじめてからどんどんやめましたけど。
驚いたことは、政治家たちの判断の速さ。びっくりするんです。ある日総理大臣と話しているとき、誰かが問題を持ってきたんです。裏にはそれについての研究やらレポートがたくさんあるんです。それちゃんと全部読んで、理解して、結論出さなくちゃいけないでしょう。
 「何ですか?」 「こういうことで」 「じゃあこうしなさい」で終わり。その決断を聞いたときはびっくり。やっぱり答えはこれでしょうと。だからその人は総理大臣になっているんですよ。すごい速い。

 私は日本の政治にもちょっと興味あるんだから、テレビで総論やっているときは聞いていますが、見えるところは、決断、判断はかなり弱いなあと。なぜ弱いかというと、知識ぶっちゃうんです。「アメリカではこうなっているんだ」とか。それは関係ないんですけど、たくさんデータ持っていることを威張っちゃうんですね。それで何がなくなるかというと、決断能力がなくなるんです。思考で。
それで経済学者で、プロで、しゃべるは喋るは、数字を出して、だからどうするべきかと国民が知りたいんですよ。それでは政治家、リーダーとして私は失格だと思いますね。リーダーはそんなにデータ知らなくてもいいんです。プロの専門家が給料をもらっていろいろやっているんだから。でも決断する権利はない。それで「あんたがたはどういう決断にするかと全部書いてまとめて出しなさい」と。それで「そうですか、こうしなさい」とそれだけで終わります。

 この決断能力というのはすごいものですよ。それは人間にあってほしいんです。決断というものは、だいたい答えは1つしかないとしておいてください。いくつかあるんだったら、どちらでも同じだと。だから考える必要ないんだと。

 夫婦の離婚問題で、離婚するべきかと悩んでいる場合は、まだまだ「離婚しなくちゃ」というところまで条件が揃っていないことなんですね。五分五分なんですよ。『一緒にいてイヤだ』『別れて一人でいるのがイヤだ』と、この二つが五分五分なんですよ。そこで、一つの原因が増えていくと、その方向へどんどん思考が傾いていく。別に困らなくても、結果は自動的にでているんです。だから正しく思考すると、決断する苦しみがなくなるんです。すぐ判断できるんです。

 個人的な話ですが、私は怖いほど決断能力持っていますけど、生きているうえではみんなに合わせなくちゃいけないんだからね。だからある面では苦しいんですよ。答え知っているんだから。これでしょうと。それだけ言っちゃうと1秒もかからないんですよ。本当は1ヶ月間話し合わなくちゃいけないと思ったところで、何もしないで「これですよ」と言うと、社会構成は成り立たないでしょう。ですからそれに合わせる場合は、結構苦労するし、ちょっといたずら気持ちも持っているんだから。子供の頃一つもできなかったんだから、ずーっとそれできなかったんですよ。親がいたずらさせなかったんですね。これが入っちゃうと、私はかなり考える材料を与えるんです。見えない側面をいろいろ見せてあげちゃうとかね。そうするとみんな気持ちよく話しはするんだけど、決断はでてこなくなるんですね。だから決断能力はあった方がいいんですし。

 考えないで事実だけ見る。それで決断できます。
それで智慧のない人が、何でも速く決めるんだと言って決めるのは危険ですよ。
瞬時に決める人が多側面知っていなくちゃ。ただ決めただけでいいわけではないんです。多側面でものごとを知るためには、思考、妄想が邪魔なんです。見た、分かった、それで決断した。

 こちらの質問リストはこのぐらいのことで、判断、決断にはそんなに困らなくてもいいんです。判断ちょっとできないなら、まあどちらかにする。どちらかにしたくなければ、そのままでいいんじゃないんですか。ガチャガチャでも。

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