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10.ヴィパッサナー実践のポイント

2003.6.15    於 兵庫県  いたみホール

<A・スマナサーラ長老>


(関西地区月例の「法話とヴィパッサナー冥想会」午後の部、初回参加者に冥想指導をされる前、これから各自で自由冥想をする常連参加者に対して、ヴィパッサナー実践のポイントをお話いただいた「虎の巻」のお話です。)
 <毎回、大事なお話のテープを起こして Dhamma West に上げていただいている「ふなはし様」のデータを、ホームページ用に少し手を加えたものです。管理人>


<ヴィパッサナー実践のポイント!>
各自で自由に冥想する方々に、もう一度考え直して欲しいポイントだけ説明します。

 この、特に「時間」というものですね、
 我々人間が、同じ時間で沢山のことが出来ると思ってるんです。
分かり易く言えば、本を読みながらラジオを聞くとか、二つも一遍にやっている。
しかし厳密に見ると、それは成り立たないんです。 瞬間の時間で一つの行為しかできない。

ですから自分の命というのは、本当は時間の一本の流れで起きているものなんです。
生きるということは、喋ることも生きる、見ることも生きる、聞くことも生きること、味わうことも生きること、座ることも立つことも生きること、考えることも生きること。
 では、 或る一瞬の時間で、ものを見て、聞いて、食べているということはあり得ないんです。
一個の時間単位で一個の仕事しかしない。 それが一般的な知識では分らないことです。

瞬間で一つの仕事しかやってない。 これは真理であって、冥想では発見できるんです。

我々は長い時間丸めて(例えば一秒とか、ものすごい長い時間を取って)いるのに、同じ時間に沢山のことやってると思ってる、同時に幾つかの仕事をしていると勘違いする。 だから問題だらけで何一つも解決出来なくなっている。
 仏教では瞬間ということを言っていて、瞬間というのはものすごく速い時間なんです。
光の速度よりは、心の変化速度というのは、かなり速い。
それは、この冥想で何とかして発見する準備をしておかないと、いけないんですね。 そこら辺は気を付けて欲しい。

それで、例えば本を読みながらテレビを聞くというと、一遍に出来ない。
我々は何をやってるかというと、聞く場合は「聞く・聞く・聞く」で、読む場合は「読む・読む」なんですよ。
それで総合的に「聞く・聞く」、「読む・読む」、また「聞く・聞く・聞く」とかね、時々「聞く・聞く・聞く」の方が沢山いっちゃって、それで「読む・読む」という方が少なくなったりして、また「読む・読む・読む」の方が沢山になって、また「聞く・聞く」ということにもなります。
それ、何で出来るかというと、ラジオの声というのはゆっくりのんびり喋ってるんだから、一旦、「聞く・聞く」ということで聞いたところで、次の音が来るまでは結構時間があるんですよ。 その時間がある間で本を読んだりして、そこで又ラジオを聞くということにする。
ラジオの放送で幾つかの言葉を聞かなくっても別に何も損はないんだから、自分がラジオ番組を聞いたつもりになってるんです。 同時に本も読んだつもりになってるんです。

しかし一遍に一つの仕事しか出来ない。

そういうことでこれを発見するためには、心がすごーく集中していると分るんです。
ものすごく強烈に集中してると、一つの瞬間で一つのものしか心は認識しないということが分るんです。
それはすごーい集中力が必要なんです。 走り回っているこころには出来ない。
「聞く」、「見る」、また「読む」、またラジオ「聞く」、「見る」とか色んな事やってるんだからね。

それを発見するために修行する人々は訓練するんですね。
その訓練というのはスローモーションなんですよ。 自分の修行中の行為を全部スローでコマ単位で動かしてみて下さい。
たとえ立つということにしても、仕事は一遍に沢山出来ないんです。
ですからコマ単位で立つ時でも一つ動かして、次の部品を動かして、次の部品を動かして、という感じでスローモーションで修行してみて下さい。

●次は実況中継のポイントです。
 実況中継というのは言葉でやる仕事で、ものすごく大事なポイントで、冥想とは、実況中継ですね。
スローモーションは冥想じゃないんです。 冥想は実況中継。
座ってるんだからと言って冥想してる訳じゃないんです。
実況中継してるんだったら冥想している。 その人が座っていようが立っていようが、それは関係ない。
それは、ものすごく力強く覚えておかなくちゃいけない。

実況中継していると、冥想している。
何で実況中継が冥想かというところが、もう説明出来ない。 それぐらい、難しい。

経典の幾つかも、全くもそのポイントだけに絞っている。
皆さまが読んでも発見出来ん。

何故かと言うと実況中継とかそういう現代言葉がないんだからね。 だからこれは発見出来ない。
一応実況中継が冥想であることを、先ず、次に覚えて下さい。

●その次に覚えて欲しいことは、何を実況するか。
 この実況することは何ですかというと、実感なんです。
実感を実況するんです。

で、実感と言えば、大体、分かり易いでしょう。
その瞬間の実感を、実況する。

集中力が無いんだから「沢山の実感があるんじゃないか」と言うことがあるかも知れませんだけど、何か一つの実感を実況する。
例えば何か見ていると、「見ている」という実感があるでしょうに。
見ていると、「見ている」、「見る」、見ているという実感があるならば「見る、見る」、或いは「見ている」という風に実況する。
「見えてる」という実感がある場合は「見えてる、見えてる」と実況する。
実感を実況中継する。そこ一寸微妙なんですよ。

こちらにお鈴(リン)があります。お鈴(リン)を「見ている」か、「見えている」か、という実感は微妙に変わる。
見ていると思ったら、(別に間違ってもいいんです)、見ていると思ったら、「見ている、見ている」、目に入ってると思ったら、「見えてる、見えてる」 と実感する。
音の場合、二つは明確なんですね。 音が勝手に入って聞いてしまう場合は、「音、音」と実況する。
自分から耳がそこら辺に傾いて聞こうとしているならば、「聞いている」という実況中継なんですね。
だからこの実感の勉強が必要なんです。

それで、歩く場合は「右足」という時、(右足があるんだという)右足という実感を「右足」と実況して、
動く場合は「動く」という実感に対して「運びます」と実況して、「下ろす」という実感に対して「下ろします」と実況する。
座って修行する時でも、その時の実感は、何でもいいんです。
痒みであろうが、痛みであろうが、膨らみであろうが、痺れであろうが、雑念あろうが何でもいい、その時の実感を実況する。

実感を実況しないと実況中継が空回りになる。 ただ何の意味もない言葉の回転になる。
単純な言葉の回転では悟り開く訳じゃないんです。
悟りというのは自分が何者かと解読してみることなんです。
自分が居るか居ないか、居るならば何者か…、居ないならば何なのか…。
だからすべての知識、すべての哲学、「自分」という一言葉に懸けてるんです。
自分が居るんだから、地球もある、宇宙もあるという風に考えるんですよ。
自分がここに居るんだから、くだらんことを、人間は何で生まれたんでしょうかとかね、人間は始めて何処で現れたんですかとか何でも考えられます。
何を考えても、「全部、やってるのは結局あんたが居るんだからでしょう」ということで、全部そちらに懸けちゃうんですよ。
例えばこの世の中は美しいものですか? 或いは余りきれいな世界ではないか? そんなの関係ない。
見えるという実感があるんだからなんです。

そういうことだから実感を実況することによって、「実感て何なのか」ということが分ってきます。
そこで自分ということ、自我ということ、自己というものの解読は出来ます。
それは分らないように複雑になってますけど、きれいに解けて、あ、こういうものであるということが分ります。
ですからすごく気を付けて下さい。

ただ実況中継と言って、「ひたすら実況中継するんだよ」と言うんだけど、ひたすらでもないんです。
はっきりと感じる「実感」を実況して下さい。 実感は難しくない。 痛いと分ったら「痛み」という実感がある。 ですから「痛み」と言えばいいんです。
だから一つ一つの言葉が空回りにならないように、浮いて行かないように、ちゃんと実感でラベリングする。
気を付けてそれをやってみて下さい。一応、基本的には、そこは覚えて欲しい。

●次はやり方です。
 やり方はそれ程厳しくは言いたくないんですけど、背筋を伸ばすことは、すごい大事に、すごく真剣にやって下さい。
立つ時も歩く時も座る時も、背筋だけは、きちーんと伸ばしておく。
しかし、簡単だと思って欲しくない。 それが大仕事、背筋を伸ばすことは、大変な仕事にしないと。

今まで皆さまと一緒に生活してきての経験なんですが、とっても簡単単純なことでもやり切れない位に複雑にするでしょう。 あれは能力のないやり方で、それを逆にして下さい。
背筋を伸ばすことはもう大変やり切れない位難しい仕事にして下さい。
それに神経使うんだと。
どういうことかと言うと、背筋伸ばす場合は1分2分位掛けて毎回毎回、「伸ばします・伸ばします・伸ばします・伸ばします・伸ばします」と、0.5ミリ間隔でゆっくりと伸ばす。

きちんと実感する。

その背筋を微妙に動かして動いて伸ばして、伸びて伸びて行くこと、一分二分、掛けないと意味がないんです。 それに気を付けると、冥想は、すごく簡単に進んで行きます。

それで、人間というのは猫背になるように体が出来ているんです。
だから体が曲がっているということはとても簡単なことで、伸ばすということはとても難しいことです。
それなのにみんな随分簡単に、「背筋…、背筋伸ばしてくだ…」と言いかけると、すぐにもう伸ばしてるんですよ。
それはもうインチキです。 そんな簡単な筈じゃないんです。 そう簡単に伸びてくれる筈がない。
ですから結構、時間掛けて、0.5ミリで動かして・動かして・動かして、伸ばして、そこで体を固定する。 伸びたところでロックする。
それで、ロックしても体というのは、ほんの一寸、不注意で曲がっちゃう。
ほんの僅か、集中力が別の所に行ったら、もう曲がってる。
だからこれが大変ややこしいんだと、一寸でも手抜きは出来ないんだと。 冥想しながら、何時でも姿勢についての集中力が必要なんです。
姿勢が、背筋が伸びてるか、伸びてるかと。 そこら辺を気を付けていると、必要な集中力というものが、見る見るうちにジリジリと成長してきます。

何故かというと、脳には大変な仕事なんです。 普段、怠けてるでしょう。どうしても、楽をしたくなるんですよ。 楽をしたくなるということは、怠けなんです。
これが脳の問題なんです。 脳が動かないんです。
それで、姿勢を伸ばして、固定して保つことっていうのは脳には手抜きが出来ない。
ずうーっと信号送って送って、送って送って、ずうーと送っておかないと。 だからどんな人間でも楽をしたくなると、座るか横になるかなんですよ。 怠けたい時とか楽をしたい時は、座るか横になる。

何故ですか。 そうすると脳に信号送らずに済むんです。
脳も、怠けてるんです。 体じゃないんです。
怠けたい人は、例えば片足で立ってるとか全然しませんでしょう。 「これから怠けたい、だから片足で立ってるぞ」とかね。片足で立ってるのは、脳が仕事しないと出来んです。
だから怠けたい人は何かに腰を掛けて背もたれも使って、兎に角、脳の仕事を減らしてもらう。
脳が動かないと、どうなるか分ってるでしょうにね。 呆けて。 呆けてしまいますよ。 呆けてしまったら仏教は無い、出来ない。すごく知識能力が必要です。
だから何方にでも脳細胞はちゃんとあるしね。 それは全部使って欲しいんです。
そういうことで、きちんと背筋を伸ばして、ただそれだけで問題は解決する。
考古学やら歴史やらそんな勉強したとしても脳が開発するという約束はないんです。 それは脳の一部をいじるだけだからね。 完全に刺激して機能させるということはないんです。

そういうことで姿勢を伸ばすことは大仕事で、すごく大事で、それで冥想はやり易くなるんだよと、速く成長するんだよということを理解して欲しい。

それで歩く冥想する時も先ず0.5ミリ間隔で、「伸ばします、伸ばします、伸ばします、伸ばします、伸ばします、伸ばします、伸ばします、・、・、・」と、背筋を伸ばす。 伸ばして、そこでロックする。 固定する。
それから歩く。 歩くんだけど足に気が行くと、もう、チョロチョロと曲がってる筈なんです。
そうならないように、ずうーと気を付ける。
それで結構楽しい冥想になります。

立ち禅する時でも、きちんと背筋を伸ばして、それから足の裏を実況する。
その時でも、一寸、気が別な方へ行った瞬間で、もう曲がってる。 だから曲がる、曲がる、曲がるたんびに脳が怠けるということなんです。 脳が楽をしようとしてるんです。 そうするとすぐに眠気が出て来る。

眠気が飛んで行ったら結構成長してます。
それで、眠気が飛んでしまえば、すごい冥想は楽しいんですよ。 ものすごく楽しくて、やりたくてやりたくて堪らん状態になるんです。
そのバリアというか壁を破って下さい。 智慧が成長しないようにすごい壁が立ってるんですよ。
疲れるとかね、眠気が出て来るとかね、面白くなくなるとかね、全部この、初めは脳が機能しないということで智慧は別なものなんですけど、一応頑張って、この姿勢伸ばすことで、そのバリアを破ってみて下さい。
それ、座る時でも、又、0.5ミリ 間隔で背筋を伸ばして、それからやって、それからずうーと曲がらないようにと一応姿勢にチェックを入れておく。

集中力が出たならば、この姿勢は壊れないのです。 そのまんまで置いておくことが出来ます。
そこだけ気を付けて、まぁそこだけじゃなくて、ポイントは沢山ありますけどね。
気を付けて頑張ってみて下さい。
では宜しいですか。 では、冥想指導の欲しい方は向こうの部屋へ集まって下さい…。  (終り)

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