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| ■会員のお便り ※会員の皆様から戴いた手紙や、『パティパダー』の「ひろば」欄への寄稿をご紹介します。 | ||
| 新しいお便り | こちら! | |
| PATIPADA 2002.05 | 一年目を迎えて | 森田 進さんより |
| PATIPADA 2002.03 | 赤ちゃんは立って寝る?〜知恵って奇想天外〜 | 舟橋左斗子さんより |
| PATIPADA 2001.11 | 楽しみながら、パーリ語勉強会 | 野間克子さんより |
| PATIPADA 2001.10 | 純度100パーセントまじりっけなし | 正田大観さんより |
| PATIPADA 2002.09 | 心のリスクマネージメントと瞑想 〜十二因縁をヒントに〜 | 三幡正実さんより |
| PATIPADA 2001.05 | テーラワーダ比丘になった明治人、釈興然のこと | 佐藤哲朗さんより |
| 寄稿 2001.5.17 | バーミヤンの仏像破壊について 〜仏教徒にとって仏像とは何か〜 | 酒主浄忍さんより |
| 寄稿 2001.3.22 | 布施行について、 | 藤本慈照さんより |
| 寄稿 2001.2.23 | テーラワーダの寺院とは? 四方サンガへの布施 | 藤本慈照さんより |
| 一年目を迎えて |
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(パティパダー 2002年5月)森田 進
Yamhâ dhammam vijâneyya, sammâsambuddha desitam; Sakkaccam tam namasseyya, aggihuttamva brâhmano.(Dhammapada 392偈) 正自覚者である仏陀が教えた法、真理を知り得ることは大変尊いことである、 誰かから法を教えてもらったならば、バラモンが儀式に使う火を神として祀るようにその方に敬意を持って礼拝しなさい。 早いもので、皆さんのご協力を得て、昨年(2001)5月に日本テーラワーダ仏教協会本部を幡ヶ谷に移して1年近くになりました。この間、色々なことがありましたが、皆さんで共有できる建物があるということは、とても楽しいことだと思いました。 『パティパダー』で報告いたしましたいくつかの行事なども、その時々、皆さんが力を合わせて無事にこなすことができました。ですが、今まで経験したことのない事ばかりに取り組みましたので、長老達には何かとご迷惑をかけてしまいましたが、そのたびごとにいつも、慈しみを持って接して下さいました。 ウィセッタ長老、スマナサーラ長老も、ご自身のお国には立派なお寺があり、お弟子さんもおられて、なんの不自由なくお過ごしになられることができますのに、日本テーラワーダ仏教協会の基を築いて下さいました先人達の願いをお聞き下さいまして、お一人で日本に来て下さいました。お住まいにしても、自国のお寺とは比べようもないほどで、大変不自由な生活をされていますのに、長老達は、全く気にせず、なんとか日本にお釈迦さまの教えであるテーラワーダ仏教を遺し根付かせようとして、お釈迦さまに命を預けて日々頑張っておられます。 そのような中で、真実を自身で見ようともせず、知ろうともせずに非難だけをする人々が時々いらしても、堅固な心と、慈しみで対処して下さいます。 私は、長老達に言っていただいたことをよく思い出します。 少し疲れて怠け心が出ると、ウィセッタ長老の言われた、「仏教徒には休みはありません」 を。 なにか迷うと、スマナサーラ長老の言われた、「お釈迦さまは言われたでしょう、悪いことはするな、善いことをしなさいと」、 何か上手に出来ない時は、「何も出来ないでは駄目ですよ、出来る人に成って下さい」 を。 この様に何もできない私ですが、少しでも出来るようにと慈しみをもって育てて下さる長老達に、改めて感謝し、尊敬をいたしまして、もう少し頑張ります。 今、ゴータミー精舎の前の桜の木は満開です。横のしだれ柳の若葉もしなやかに、下ではゆきやなぎがあるだけの蕾を咲かそうと頑張っています。 1月には、寒椿が小さめの花を咲かせ、2月には、山椿が大きめの花を、3月初めに、れんぎょうが黄色い花をつけ、4月〜5月はじめにかけては、つつじや、さつきが花盛りとなります。 この様に、ゴータミー精舎の前の散歩道は、色々な草花や木が1年を通して様々な姿を見せてくれます。皆さん、いつでも来て下さい。 近くに住むものも、 遠くに住むものも、 全ての衆生は幸せであれ。 |
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| 赤ちゃんは立って寝る?〜知恵って奇想天外〜 |
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(パティパダー 2002年3月)舟橋左斗子
「その赤ちゃんには悪いものが憑いているのかもしれませんねえ。ともかくお祓いしてあげましょう」…育児に追いつめられてスマナサーラ先生に電話した日、正直、電話口からそんな答えが返ってくるような気がしていた。 楽観的でいわゆる『宗教』が嫌いな私がそんなことまで思い至るほど、我が家の育児はせっぱつまっていた。 うちにやって来た赤ちゃんは、10分寝ては泣く、30分寝ては泣く、抱いてあやしてようやく寝かしつけたと思って布団に戻すと間もなく泣き出し、24時間、まわりの大人を寝かせない赤ちゃんだった。 毎日2時間睡眠の私は意識が朦朧としてくるし、私を助けて赤ちゃんを抱いてくれた義母はぎっくり腰寸前、義母の介護で暮らす義父も気弱になってきて、夫に至っては真夜中の子守り中に金縛りにあって「廊下から誰かがのぞいている」なんて言い出す始末。 24時間元気いっぱいに泣き続ける赤ちゃんを除く家族4人がどんどん生気を失っていく…という感じだったのである。 「眠れないし、家のことも一切できない」と訴える私に答えるスマナサーラ先生の第一声は、「あ〜それなら、おんぶして家事してみてください」だった。 「せんせぇ〜、まだ首がすわってないのでおんぶはできません〜(;.;) 」 「あ〜そうですねえ(^-^) 」…そんな会話に始まった10分少々の電話を切った私は、やっぱり先生に聞いてもだめなんだなあと、また赤ちゃんをあやし始めたのである。そのとき…。 「うちの子が布団に寝ている時間ってわずかなんです」と愚痴る私に先生がつぶやいた「こどもは大人と同じ姿勢が気持ちいいとは限りませんからねえ」という一言が頭に甦ったのである。 で、縦抱きであやして眠りに入った赤ちゃんを、いつもなら布団で寝かせようとトライするところ、試しにそのまま、つまり身体を垂直に立たせたまま膝に乗せ右手で用事をしてみたのである。 するとなんと赤ちゃんは立ったままの姿勢で2時間、眠ったのである! おっぱいをあげてまた2時間立ち寝、さらにまた…となんとその日はほとんど1日、眠り続けた。 さらに先生の「赤ちゃんを抱いたままでも、とにかく寝てください」という言葉を思い出し、そのときは「そんな器用なことできないよ〜」と思ったのだが、トライしてみたらけっこう眠れるのである。 先生の何気ない(と思えた)言葉の中に、この他にも多くのアイデアが隠れていた。 この日、私はパワーをいったん回復することができたのである。(注;育児書には「縦抱きは4ヶ月から」と書かれています。真似されるときは注意してね) 『立ち寝』させるという発想はそれまでなく、智恵とは本当に常識にとらわれてはいけないものなのだと感動した。 しかし、生後1〜2ヶ月の赤ちゃんの日々の成長、変化はめざましい。ある日ぴたっときた智恵が、翌日にはもう通用しない。育児とは、毎日、深い智恵の開発を要求される人生修行の場だと感じさせられる日々である。 出産後1ヶ月のころ、先生と協会のみなさんが贈ってくださった偈文にずいぶん助けられました。 朋友がいるならば、 何かあったときも幸福を感じる 揺れ動く心に、知足は幸福である 生きている間、善い行いは幸福である 一切の苦を乗り越えることは、 それに勝る幸福である (Dhammapada 331) ※昨年11月2日に男児を出産し、以降 Patipadâ 編集をお休みさせていただき、皆さんにご迷惑をおかけしております。 智恵と優しさをくださった先生、皆さん、こころから感謝しております。 「赤ちゃんは宇宙人」と先生にアドバイスいただいた当時を経て、我が息子も夜はちゃんと眠るようになり、ちょっと人間に近付きました (^o^)。ふつつかながら育児を経て、智恵をふくらませて、また編集作業に戻りたいと思っております。 よろしくお願いいたします。(2002.1.20記) |
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| 楽しみながら、パーリ語勉強会 |
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(パティパダー 2001年11月)野間克子
毎月第2日曜日、午後1時から6時まで、東京都北区王子にある江原通子さん宅で、パーリ語勉強会を行っています。しっとりと落着いた風雅なお茶室が会場です。 江原さんは、文筆家として長く活躍してこられました。又、仏教に造詣が深く、パーリ語、サンスクリット語にも通じていらっしやいます。さらに人生の先輩として多くのことを教えて下さいます。メンバーは、少ない時で5〜6人、多い時は10人近く集まります。 インターネットを通じて探した「An ElementaryPali Course by Venerable Narada Thera (初歩のパーリ語コース 尊者ナラダ長老著)」に関川さんが日本語訳を付けて下さったものを勉強しています。 もう二年半近くになりますが、26課中やっと7課、アオリスト(過去)を学んでいるところです。 同時に、慈経(メッタ・スッタ)を一偈ずつ読み進め、今総集編を作成中です。一語一語丁寧に解読していきますと、ふか−い味わいを読み取れます。 この慈経を常に念頭に置いて行動できたら、素晴らしい人になれるに違いありません。 また、関川さんが見付けてくださった「PaliBuddhist Texts 〜 An Introductory ReaderAnd Grammar 〜 by Rune E. A. Johansson パーリ語仏教教科書 入門の読本と文法 ルネE.A.ヨハンソン著」も学んでいます。 内容は、長部経典その他から一節ずつ抜粋して構成されています。 例えば「生命の無常」(Samyutta Nikâya l − 109)Accayanti ahorattâ, jîvitam uparujjhati, âyu khîyati maccânam, kunnadinam va odakam. 「昼夜は過ぎ行き、生命は滅する。死ぬべき生命は小川の水のように尽きる。」 短いものですが意味深いものが多く、勉強になります。 一度、スマナサーラ長老にお越しいただいたことがありました。長老曰く、“無いものでやろうとするから進まないのです。有るものでやれば、今の何倍も進みます。 ”つまり頭で覚えようとせず、ブッドー ブッダー、……などと繰返し繰返し口ずさんでいたら、難しい格変化も自然に口をついて出てくるようです。 私達が唱えている慈悲の冥想のパーリ語版があるのかと思い、それを教えてくださるようお願いしました。パーリ語のものは、あらゆる生命、あらゆる方角に、細かく、一つずつ慈の瞑想を行います。しかし、慈の冥想に限られます。私達が唱えている慈悲の冥想は、スマナサーラ長老ご自身が考案されたもので、慈・悲・喜・捨すべてを包含する他に類を見ない素晴らしいものだということを知りました。それからは、意味をかみしめながら唱えています。 こんな風に書くと、まるで長時間熱心に勉強しているように思われるかもしれませんが、実際はお茶の時間が長いのです。美味しいお菓子が次々出てきて、楽しんでいます。 この勉強会への参加は、いつからでも、どなたでも歓迎です。初級、中級織りまぜてやっています。意味がわかってお経が唱えられたらいいナと思われる方、是非いらしてください。ご連絡は、事務局の江川さん、または野間までお願いいたします。 |
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| 純度100パーセントまじりっけなし |
(パティパダー 2001年10月)正田大観
過日、編集の方より、当欄に何か書いてみないかとのお誘いを受けました。そこで、日本テーラワーダ仏教協会というあつまりの性格について、私なりの所見を、ここに書き連ねてみたいと思います。今の日本でお釈迦様のおしえを学びたいと思う方々が集まる場所として、まず思い浮かぶのが、お寺(各宗寺院)と大学(研究機関)です。この両者が日本仏教の実質をになっている、そう言っても過言ではないはずです。そうではありますが、両者と多少の関わりを持った者としてありていに中しますと、両者ともに、その内実は見た目ほど立派なものではないと訪わざるをえません。お坊さまたちの純粋な求道心をないがしろにして、お寺という存在は、「葬式仏教」という言葉がそのすべてを物語っているように、ビジネスの場に成り下がってしまいました。 また、明治以降の世襲制度が求法者のたたくべき門を堅く閉ざす結果となったのは周知のとおりです。 大学という組織も、わけのわからない言葉の詮索や身内どうしの「高尚な議論」に終始する、もしくは「教授」というポストほしさに研究を進める、というのが実状です。 大胆な言い方をしますと、仏教を学ぶというよりは、ビジネスのため、もしくは、世俗の栄達のためにそこにいる、と言えるかもしれません。 ところが、日本テーラワーダ仏教協会の場合は、そこにあつまるすべての方が、ただひたすらに真実の仏法を学び求める方であり、かつまた、日本テーラワーダ仏教協会という組織そのものが、利害関係抜きのボランティアの手で運営されているのです。 これは希有なことです。たとえば、お寺や大学のほかにも、仏教を学ぶ者の受け皿として、仏教系の新興宗教があります。新興宗教とは関わりを持ったことがないので断言はできないのですが、これもまた組織内での栄達を目的にした修行者が往々にして幅をきかせていると言えるのではないでしょうか(私は信者白`人を勧誘した功労者だ、ついに何々地区の布教責任者に任命された、等々)。もちろん、僧侶の方すべてが、あるいは、大学の研究者すべてが、不純な動機で仏教に関わっているわけではありません。自身のすべてをかけて仏法を追求する真摯な求道者もまた、確実に存在します。ただ残念なのは傾向として、僧侶の方は教義無視の修行中心、研究者の方は修行抜きの理論専門、という具合になりがちです。行学併修の求法者には滅多にお目にかかれません。 ところが、日本テーラワーダ仏教協会の場合は冥想会(ヴィパッサナー実習)と勉強会(経典解説)がバランスよく二頭仕立てで併学されているのですから、これまた希有なことと言わねばなりません。これはひとえに、スマナサーラ長老やウィセッタ長老の指導力ならびに御人徳によるものですが、“良き師のもとには良き弟子が集まる”というように、小西会長をはじめとする会員各位の浄心のエネルギーを感ぜずには居られません。 その結果として、今の会のあり方があるわけですし、あれほどの短期間で自前の精舎を建立するという離れ業をやってのけたのです。私も、協会の末席に連なる者として、その恩恵を、まさにいまここにこうして受けているわけです。私事を申して恐縮ですが、このほど一書をまとめ、近々上梓する運びとあいなったのですが(※)、その下読み、校正、出版、配本に至るまで、すべて、協会の友人達が黙って協力の手を差しのべてくれました。感謝の言葉を知りません。既成の組織宗教とは距離を置き、犀の角のように独り歩まんと決意した私ではあります。そのようなヒネクレ者にも居心地の良い場所が日本テーラワーダ協会です。 心をきれいにするという一一点で真の求法者があいつどう、日本テーラワーダ協会。その純度1 0 0パーセントまじりっけなしの法恩にあずかり、これからも精進してゆきたく恩います。 合掌。 ※ 『ブッダのまなざし 〜スッタニパータ 第四章・第五章 和訳と注解〜』 発行 アムリタ書房 発売 星雲社 2001年9月 定価 ¥4600 (税別)2巻セット [ISBN]4-434012-96-7 『クリシュナムルティ学友会』 正田大観師の参加する学友会HP |
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| 心のリスクマネージメントと瞑想 〜十二因縁をヒントに〜 |
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(パティパダー 2002年9月)三幡正実
私は原始仏教を勉強して一年になります。何故か仏教がおもしろいのです。真理はそうなのかと目が覚める思いでスマナサーラ長老の話しを聞いたり本を読んだりしております。まだまだ未熟者ですが自分なりに理解したこと、学んだことをまとめてみました。どうしたら煩悩を少なくし、幸福で爽やかな毎日を送る事ができるのでしょうか?ここが凡人には一番知りたい所です。十二因縁をヒントに考えてみました。 ビジネスでリスクマネージメントに失敗して倒産した会社は多くあります。我々は会社だけでなく自分自身の心のリスクマネージメントを適切に行っているのでしょうか。リスクマネージメントとは将来起るかも知れない問題に対してあらかじめ手を打っておく事です。その方法には2つあります (1)予防対策 (2)発生時対策 予防対策とは将来問題が発生しないようにする対策、発生時対策とは問題が発生した場合にどうするか決めておく対策です。たとえば「家の火災が起きないように色々注意する」が予防対策で、「消化器を買って台所に置いておくとか、火災が起きたら何を自宅から持ち出すかまとめておく」等が発生時対策です。発生時対策をしっかりやっておくと精神的に安定します。何故かというと予防対策は心配しはじめるとキリがないからです。あれもこれもと考えて今日の生活の大切さを忘れてしまいかねないからです。 お釈迦様は苦に至る十二因縁の途中どこかでつながりを切れば苦は無くなるとおっしゃっています。 十二因縁のどこかで連鎖を断ち切る方法はあるのでしょうか? それがあるのです。 十二因縁とは[無明 -行 -識 - - -触 -受 -渇愛 -執着 - - -苦](一部省略)という,原因・結果、その結果が叉原因となって次の結果をつくるという心の一連の流れです。その一連の流れの中で我々はどう心のリスクマネージメントをしたらよいのでしょうか。[無明 -行 -識]には予防対策、[識- - -触 -受 -渇愛 -執着]の流れには発生時対策が有効とおもわれます。 (1)予防対策としての[無明 -行 -識] 慈悲喜捨の瞑想 [無明]とは智恵のない状態のことで、悟っていない凡人はたまに善いことをしますが、ほとんど無意識的に煩悩に影響されています。何かを見たり、聞いたり、思うたびに「知る認識」機能だけでなく、「感情・煩悩・束縛」などが発生しています。アビダルマによると完全に悟った人は「知る認識」機能だけで、「感情・煩悩・束縛」などは発生しません。我々は「感情・煩悩・束縛」によって認識が微妙に歪められています。恐ろしい事にその事に気がついていません。この発生した「感情・煩悩・束縛」などに動かされて心は何かをしたくなります。この反応したくなるエネルギーを[行]といいます。このエネルギーがある程度溜ると身口意の行為となります。心はもともと他人の幸せを犠牲にしても自分の幸福を願っている様にできています。貪瞋痴の癖が生命誕生その後の生物進化にともなって、無始以来いつの間にか身についてしまっているのです。ところが本来幸福とは他との関係性で得られるものだから、この我がままな心がそのまま外に出てしまうと自分の幸福も破壊する結果になってしまいます。 つまり予防対策にはこの[無明 -行 -識]で生まれるエネルギーをなんとかしなければなりません。貪瞋痴の癖がついた無明の心を浄め自分を守るための瞑想です。そのために慈悲喜捨の瞑想が重要です。 (2)発生時対策としての[識- - -触 -受 -渇愛 -執着] ヴィパッサナー瞑想 何かを見たり、聞いたり、思うたびに感情・煩悩・束縛・感覚などの[受]が発生しています。(図式としては[六処 +六境 = 認識 + 受]となります)凡人はそれが弱い時は自分では気づかないだけで、それがくり返されると大きくなり、ついには[渇愛 - 執着]に至ります。ここがわからないと「自由とは思った事をする事だ」と誤解し、実は煩悩の奴隷になっている事さえ気づかず、人と争いとなり自分の幸福を破壊して[苦]に至ってしまいます。つまり発生時対策はこの[識- - -触 -受 -渇愛 -執着]をなんとかしなければなりません。 それにはどうすれば良いのでしょうか。ヴィパッサナー瞑想では感情・煩悩・束縛・感覚などの[受]が発生したら、そこを客観的に(主体的では駄目)観察・確認して自分をその場の外に置くように努めます。そしてそれらを常に明確な理解力をもって気づいている状態にします。 「ただ現象のみあるだけだ、それらの現象の生滅変化、そのはかなさを知り、変化する現象に価値はない、そんなものに囚われているのは馬鹿らしい。だから執着を捨てようと腹の底から本気で納得する事ができれば智慧が生まれ、そもそも争いは起きないし仮におきても瞬間的に解決してしまう」。(スマナサーラ長老)というものです。 実際人と会っている時煩悩によって悪い感情が沸き起こったらすかさず観察し鎮めるのです。火事が発生したら消防車がかけつけて消火にあたる方法です。どれだけ有効な消火活動ができるかは平素の瞑想の深さによります。 いったん心についた癖は簡単には変えられません。しかし心が自分のすべてをコントロールしている以上、悪い癖は直さないわけにはいきません。仏教には悟りに至るための方法として[聞思修]があります。[聞]とは教えを聞き理解すること、[思]とは単に聞くとか学ぶという受け身の行いだけでなく、自分で教えを掘り下げて深く考えること、[修]とは知識が智恵になるほど実践して教えを自分のものにしてしまうことです。そのようにすればやがて悟れるという教えです。[修]だけでなく[聞思]も大切な事のようです。 西洋のことわざに「備えあればチャンスをものにできる」とあります。本がおもしろいとわかった大学生がもうマンガは馬鹿らしいと気がつくように、自分の大切な人生のために備えをしておきたいものです。 |
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| テーラワーダ比丘になった明治人、釈興然のこと |
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(パティパダー 2001年5月)佐藤哲朗
幡ケ谷のお寺建設が進んで誌面も華やいでいますね。ここで昔話を一席。「テーラワーダ仏教を日本に伝える」事業に100年以上前に取り組んだ先駆者についてお話させて下さい。 明治時代の初頭から中頃にかけて、維新にともなう廃仏毀釈(仏教弾圧)で疲弊した日本仏教を救うため、幾人もの僧侶が欧米やアジア各地の仏教国へ留学しました。釈興然(1849-1924)という真言宗のお坊さんもその一人です。 興然師は明治19(1886)年、単身スリランカへ渡ると、日本人初のテーラワーダの比丘となりました。法名はグナラタナ。彼の真摯な修行ぶりは同時代人にも深い感銘を与えたようです。そのころ渡欧のためスリランカに立ち寄った森林太郎(鴎外)は、コロンボで彼と会見し「貴僧によって真の仏法が日本へ伝えられますように」と詠んだ詩を送っています。 スリランカに留学した日本人僧侶の多くは、帰国後には従来どおり大乗仏教の宗派で活躍しましたが、ひとり釈興然師はテーラワーダの戒律を守りつづけました。彼は『釈尊正風会』を設立し、日本にテーラワーダ仏教サンガを設立するべく5人の青年をスリランカに派遣します。神奈川県横浜市の三会寺(JR小机駅下車)を拠点にした彼のもとには、鈴木大拙や河口慧海といった近代日本仏教の有名人もパーリ語学習のため参じました。しかし興然師が送った青年僧は現地で病死したり、日露戦争に召集されるなどしたため、彼の夢は遂にかなえられませんでした。いまも三会寺には、タイの仏像や南方風ストゥーパをかたどった興然師の墓が残され、往時を忍ばせます。ぜひお参りされることをオススメします。 いま私たちが携わっている、テーラワーダ仏教の日本移植という仕事は、明治以来の少なからぬ日本仏教徒の悲願でありました。「小乗仏教」という偏見が現在よりも更に強く社会を覆っていた時代にあって、様々な制約の中で日本に「お釈迦様の仏教」を伝えようと命を捧げた日本人がいたのです。彼らの足跡を振り返ることは、<いま・ここ>に生きている私たちがお釈迦様の教えを実践しそれを未来に伝えてゆく上で貴重なヒントになるのではないでしょうか。 仏教に国籍や民族は関係ありません。しかしいま私たちが千五百年の日本仏教史のなかでも画期的な瞬間を担っていることは確かです。次の千五百年を生きるすべての仲間たちに、素晴らしいお釈迦様の教えを手渡すため、明るく落ち着いた気持ちで最善を尽くしていきましょう。 |
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| 寄稿 バーミヤンの仏像破壊について 〜仏教徒にとって仏像とは何か〜 |
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2001.5.17 酒主浄忍
先日、新聞やラジオなどの報道に依れば、アフガニスタンのイスラーム軍事政権によって歴史的文化遺産であるバーミヤンの主な磨崖仏が破壊されたと報じられ、国連もこれを非難し、破壊停止を呼びかけていると伝えられていました。この破壊行動は、イスラーム教の偶像崇拝を禁止していることに由来していると考えられます。一つの宗教を護持する国家が、政治的に他宗教を排斥した事実は、世界には幾らでも有りました。我国に例をとれば、明治の一時期に神道を国是とした事から仏教が排斥された廃仏毀釈がこれに当たると思います。 嘗て唐の時代に玄奘三蔵が梵衍那国すなわちバーミヤン地方を訪れた時、この地の宗教は仏教以外にも信仰されていたことが窺え、また磨崖仏も装飾され、輝いていた事が伝えられています。ブッダは各地で様々な異教徒に接した折に説法されましたが、彼らの持つ信仰を強引に捨てさせるような事はせずに、彼らの信仰に仏教的意義づけをするなどして諭されました。時には却って彼らを仏教に帰依させる結果と成ったのは周知の通りです。こうした仏教の持つ寛容精神も一つの要因となって、永くこの地も様々な宗教が共存していたのではないでしょうか。 本来、初期仏教ではブッダにゆかりの霊樹や塚などを信仰の拠り所として、仏像を作ることは有りませんでした。この件に関連して、仏典のアングッタラニカーヤでは「…如来や転輪聖王の塔は建立に相応しい…」と説き、サンユッタニカーヤでは、病気にかかったワッカリ比丘がブッダを礼拝したいと願って、見舞いに来たブッダを礼拝すると、ブッダは「…この爛壊の身を見て何かせん…」続いて「…法を見るものは我を見る…」と諭し、仏身の礼拝よりも法の重要性を説いています。またディーパワンサでは、スリランカに仏教を伝えたマヒンダ長老は、礼拝などの為にパータリプッタの地から仏舎利などを請来して、これを納める仏塔を時の国王が建立し、同様に菩提樹も移植されたと伝えています。この様に、初期仏教では仏像との縁は無かったのです。 仏教をほとんど知らない人々の目には仏や菩薩像は奇怪に映り、見慣れた人々には端麗に見えるかも知れませんが、その仏像に向かい、何やら呪文を唱えれば、まさに偶像崇拝の宗教に映るのではないだろうか。いずれにしても、仏教徒にとって貴重な文化遺産が破壊された事は大変に残念ですが、ここで本来の仏教徒であろうとする者は「仏像という物」には余りこだわらず「仏法」にこだわりたいものです。 いみじくも、パティパダーのNo.70でのミャンマー僧キラサ師の講話で「…私は皆さんにお釈迦さまに祈るこ とや、祈る方法を教えた事は一度もありません。しかし、私たちを、真理、涅槃へと正しく導いてくれる精神的な先生として、またお釈迦さまの悟りと智慧を思い起こして敬意を払うように、と教えています。ですから彼ら仏教徒はお釈迦さまの像の前で、額に両手を合わせて礼をするのです。それは、悟りを開かれたお釈迦さまへの尊敬と感謝を表しているのです…」と述べてあるのは誠に意義深いものと思います。 ※参考資料;【南伝大蔵経】14、18、60巻、大唐西域記 仏歴2545年3月15日 酒主浄忍 |
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| 寄稿 布施行について |
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2001.3.22 藤本慈照
布施行は、南伝テーラワーダ仏教においても北伝大乗仏教においても波羅蜜(完成)行の第一番目に示されるように、悟りに向かう修行の徳目の中で私たち在家の人々にとってすぐに実践できる最も行い易い行と言えるでしょう。
布施とは、お金や物を僧侶に与えることだけではありません。自分の身体や脳細胞など、何か自分の持っている物質を使って誰か他の生命のためになることをしてあげることは、全て布施行です。ゴミなど自分や相手にとって要らないものをあげても、誰の役にも立ちません。自分にも相手にも必要なものを、たまたま自分が持っているから相手にあげる、これが布施です。
四方サンガのために寺をひとつ布施することは偉大な布施行です。同様に、赤ん坊を抱いた女の人に電車の席を譲ってあげることも、悩んでいる人に指針を与えて助けてあげることも、全て布施行です。「与える」だけでなく、「譲る」や「分け合う」も立派な布施行なのです。
修行と言うからには、布施することによって自分の心が悟りの方向に変わらなければなりません。布施は、「私のもの」を他の生命のために役立ててあげる、「私のもの」をちょっと捨ててみることによって、我所(私のもの)という欲望を捨てることができる行です。これが布施が「喜捨」とも言われる所以です。ちなみに、特に困っている生命のために行う布施は、「義捐」とも言います。義によって「私が援助する」のではなく、正確には義によって「私のものを捐てる」のです。
たった一度の布施で簡単に捨てられるほど「私のもの」という欲は小さなものではありません。私たちは、一大決心して布施する時でさえ、これは私が布施するんだ、これは私が布施したものだ、などとなかなか「私のもの」という気持ちを捨てられません。ひどい場合は、後になってから「私があげたあれを返して下さい」などと言うことさえあります(しかし一旦あげたものはもう私のものではありませんので、「返して下さい」ではなく、ただ「下さい」と言わなければなりません)。それでも最初は頑張って何度も何度も布施、譲り合い、分け合いをしているうちに、やがてそれが習慣・当たり前のことになり、ああいいですよ、私が持ってますからあげますよ、と、簡単に「私のもの」を捨てられるようになります。
たった一度の布施でも、それを行う私たちの心にはその記憶とか余力のようなものが刻み込まれます。心所として心の性格を形成するのです。心という水の味付けをするような感じです。布施を行って自分の心から「私のもの」「欲しい」「あげたくない」などという欲がどんどん減ってきますと、重く硬い執着の心がどんどん解きほぐされ、慈しみある、軽やかな心になっていきます。自分の持つ物質を布施することによって、自分の心に良い余力を刻み込み、執着の心を少しずつ慈しみの心に変えていくのです。
「これは私のものですからあなたは使わないで下さい」などと主張することなく、誰にでも譲れる、誰とでも分け合える慈しみ深い人は、他の生命からも愛され、敬われ、手助けしてもらえます。
布施行を喜び、心が慈しみ深くなりますと、それに続く仏道修行も、楽に、楽しく行うことが出来ます。「私のもの」という執着を捨てる布施行は、悟りに向かう完成行の第一歩です。
藤本慈照 拝 |
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| 寄稿 テーラワーダの寺院とは? 四方サンガへの布施 |
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2001.2.23 藤本慈照
新しく設立される運びとなりました協会の「寺」について、私にもお喋りさせて下さい。会議に参加できませんので、一方的なお喋りになりますことをお許し下さい。
今、私たちは「寺」設立という新しい段階に入りましたが、どう運営すればいいかなと考える時には、一から新しく始めるんだと気負うよりは、お釈迦様ならどうなさるかな、お釈迦様の頃の在家信者はどうやっていたかな、などと「前例」に倣うと、余計な頭を使わなくていい分だけ楽です。どうせ二千五百年前から全く変わっていない教えを学ぶのですから、学ぶ私たち自身もたっぷりとある前例に倣うだけでスムーズに事が運ぶと思います。
テーラワーダ仏教で「寺」即ち精舎(viha-ra)と言えば、その管理運営の方針はだいたい決まっています。
*在家信者が作る(出家比丘は関わらない)
*在家信者が補修や維持費や税金なども含めて全て管理運営する(出家比丘は関わらない)
*四方サンガに布施する(以下に説明します)
出家比丘は在家信者のような個人ではありません。この世から出た、この世で死んだ人々です。比丘の誰かにお説教して欲しいとか、寺に泊まって欲しいとかお願いすることはできますが、比丘の中の誰それさんと名指しして、あなたにこの寺を上げますよと、寺一個を押し付けることはできません。比丘サンガ全体の共有財産にして下さい、管理は私たちがします、と比丘個人の責任にならないようにお布施します。比丘がこの世の人々や物品に執着できないように、在家の人々も比丘に対して、あの比丘、この比丘などと個人的に執着することはできないのです。
食事の供養に招待する時も、例えば三人分の食事だけ準備できるなら、比丘サンガに対して「比丘三名様お出で下さい」とお願いして、来られた三名に比丘サンガ全体のためにと供養します。そうすると、食事は三人分しかないのに、比丘サンガ全体を供養したことになります。心が比丘サンガ全体に広がっているからです。三人分の食事を準備して「(私の好みの)松本比丘と山本比丘と川本比丘の三名様お越し下さい」などと個人を指定すると、布施の功徳も三人分だけの小さいものになります。心が執着していて個人しか見ていないからです。
飲物、食物、衣鉢、(牛の尿を醗酵させた)薬などごく限られた、比丘としても個人で使うしかないような消費財は、比丘個人で受け取ることはあり得ます。しかし、椅子やベッド、机など誰でも使える大きなもの、耐久財は、比丘は個人では受け取れません。何も持たない、どこにも定住しない比丘にとって座るための椅子を、私がもらったんだから私のものですよ、と肩に担いで歩く瞑想をするのは、滑稽なことです。
椅子やベッド、寺(精舎)などの耐久財は比丘個人に布施するものではなく、四方サンガに布施するものです。四方とは世界中ということで、世界中のサンガ全体に布施して、サンガの一員であれば、特に比丘であれば、どなたでもご自由にお使い下さいと開放するという事です。それでしたら、比丘もヤドカリみたいにひとつの寺に縛られずにすみますし、布施する人の功徳も無限大になります。四方サンガに布施したものですから、スリランカやミャンマーなどから比丘たちがふらっと来られても、どうぞここにお泊まり下さい、ついでに食事の供養をお受け下さい、ついでに説法して下さい、と気軽にお招きできます。世界中のサンガに布施したことによって、アジアの片隅にいながら、世界中の仏教の人々と交流できる、ひとつの中心になるのです。
四方サンガに布施しなくても、私たちだけの寺ですよ、と言ってもいいのですが、その場合「寺」という名前はふさわしくありません。協会の「本部」とか「事務所兼道場」という名前に換えないと、中身が違うのでまずいです。寺は皆のものです。テーラワーダの寺なら、世界中のテーラワーダ仏教の人々のものです。自分たちだけの施設でしたら自分たちには便利で仕事もはかどり、いいことですが、自分たちの事務所を自分たちで作るのは当たり前ですから、食事をしたりトイレに行ったりする事と一緒で、功徳もありません。
これは寺ですよ、これは四方サンガに布施しましたよ、と宣言しないと、布施したことになり難いです。日本の寺で言う落慶法要みたいなものをして、立派な寺が建ちました。仏法のためになりますように、と、宣言してお祝いすると良いでしょう。比丘を数名お招きして、食事などの供養をして、寺が建ったことを祝福して頂き、四方サンガに布施します、比丘のあなた方は申し訳ありませんが代表として四方サンガに布施されたことをお受けして承認して下さい、とお願いして、私たちも在家信者として頑張りますよ、と心を強くして宣言しますと、布施が実現したことになります。この時、布施した人々の功徳は無限大になります。お招きする比丘は、本当は世界中からお呼びしたいのですが、簡単に日本国内の長老方だけでもいいでしょう。スマナサーラ先生と、中野の先生や、小倉の先生など、結構日本にも長老はいらっしゃいます。先生方は喜んで承認して下さるのではないでしょうか。比丘の国籍を問うのはナンセンスです。長老方は止む無くパスポートとビザをお持ちですが、出家比丘にはどうでも良いことです。
ごちゃごちゃしましたが、まとめますと、
*維持運営は在家の私たちがしますが、寺は四方サンガのものです。
*四方サンガに布施して初めてテーラワーダの寺になります。
*テーラワーダの寺は現実の(理想はテーラワーダと一緒ですが)日本の寺と異なります。特定の住職が寺に住み込むということはありません。
ついでに申しますと、 寺には世界中の比丘がいつでも自由に訪れ、留まり、去っていくことができます。そのための宿泊スペース(特定の住職の居住スペースではありません)は必要です。在家信者は目の前に居られる比丘の供養はできますが、比丘にもっといて下さいとか早くどこかへ行って下さいとか、取り敢えずお願いしてもいいですけど、とにかく比丘の自由な行動を在家信者の好みで妨げることはできません。居心地の良い、訪れ易い雰囲気の寺であれば、いつでもどこからでも比丘たちはお越し下さいます。その寺を守る在家信者たちは教えを請い、供養をするのに困ることはありません。
比丘たちが訪れ易い寺とは、駅から三分以内とか、冷暖房完備とかではなくて、その寺を守る在家信者たちが、仲良く、明るく、みんな助け合って学び修行して、仏法を喜んでいる寺、つまり「在家のサンガ」になっている寺です。「比丘サンガ」なしには仏教は成り立ちませんが、「比丘サンガ」に出会いたければ、私たちが立派な在家信者の仲間「サンガ」になってお招きするしかありません。説法しても、指導しても無駄なところには、比丘たちはお越しになりません。時間の無駄です。
(以下、自分が在家信者でありながら、立場の違う出家比丘のことにも言葉が及びます。出家比丘のことは全て私の憶測ですので、思わぬ誤りがありましたら、比丘や長老の皆様にお詫び致します。私の誤りが私以外に広まりませんように。)
出家比丘の集まり「比丘サンガ」が、仏教を学び修する人々の中心です。日本にも早く「比丘サンガ」を設立しよう、そのために自分が比丘として出家しようという考えは尊いものです。ただ、出家は自分の意志だけではできません。日本にも「私度僧」などといって自分で勝手に頭を丸めて僧侶の格好をする人がいましたが、中身は到底僧侶ではあり得ません。出家した当初はまだ在家信者と同じ心のままですので、師僧が一人ついて先生となり、親となって、きちんと育てないといけません。出家した比丘を育てて本人の悟りと世間の人々の役に立つようにと育てることは容易ではありません。ですから、出家する時には師僧になって下さる長老を探すのが大変です。
師僧になる長老も、出家希望者本人の資質をじっくり見極めた上で、弟子にするかしないかと判断します。師にとっても弟子を取るのは大変です。生半可な出家をさせてその新人比丘がうまく成長せず、名声や生活などのためにのみぶらぶらと比丘であり続けるようにでもなると、その比丘は自分も信者もだますことになりますので、大変です。本人はもとより、出家させ、自分の子として比丘を預かった師僧の責任は師僧に重く圧し掛かります。
スリランカやミャンマーの瞑想センターなどで、或いはタイの一時出家みたいにして、三ヶ月間くらい出家してみると自分が本格的に出家生活に入るべきか在家のままで修行を続けるべきか良く分かるのではないでしょうか。子供が出家するのなら師僧も育て易いのですが、大人になってしまった人が出家するのは、育てる師僧の方も結構大変です。一時出家などでは師僧の負担は軽くなります。そのようなオプションも頭に入れて、後は出家希望者本人と育てる長老との問題になるのではないでしょうか。チャレンジすることは大いに尊重されるべきです。自分にも他人にもごまかしなく、真剣に行う限り、仏道修行は必ず得になります。
日本人の大人が今の時代に出家する場合は、おそらくスリランカかミャンマーなどの「比丘サンガ」がしっかり確立したところの僧院に入ることになるのではないかと思います。それぞれの教団の規定に則って何年かの修行期間を経て充分心が育ったら、日本で布教しても、自分の過去の事は断ち切れていますから大丈夫でしょう。
日本出身の比丘が心が新米のまますぐに日本に戻りますと、いろいろと影響されてしまうでしょう。「日本テーラワーダ仏教協会のために」出家するというのも煩悩にしかならない危険性があります。仏教にとっては、日本とかブラジルとかいう壁はありません。文化や言葉が違っても、あっちとかこっちという程度の違いでしかありません。出家する時には「日本テーラワーダ協会」という小さなしがらみも捨てて、仏教のために自分は何ができるかなあ、その前に自分のことを解決しなくちゃ、という軽い、執着のない、しかも強い気持ちが大事です。後は、師僧が本人の心の成長の度合いを見て判断して下さるでしょう。
「比丘サンガ」を日本にも設立したい気持ちは山々ですが、比丘サンガがもともとなかった日本に設立するためには、最初は既存のところから移植するしか方法がないのです。「スマナサーラ先生」は単数の比丘であって、四人以上から成る比丘サンガではありません。スマナサーラ先生のもとで「出家」するのは不可能です。スマナサーラ先生個人の下では在家信者として指導して頂くことになるのではないでしょうか。
いずれにしても、出家の生活について在家のうちからしっかり学んでおくと、出家する可能性も高まりますし、そのまま在家信者として生活することになっても、出家比丘の生活方法を学ぶことはとってもいい勉強になります。スマナサーラ先生から説法を聞くばかりではなく、私たち自身が簡単そうな本から始めて、出家生活のことでも教えの内容でも、お釈迦様時代の教団のことでも、何でもとにかく仏教をしっかり学ぶようにすれば、心も温まりますし、だんだんと「在家のサンガ」の基礎になります。仏教については、何を学んでも、得にはなりますが、損には決してなりません。
私たち在家信者が外国のどこからでも比丘さんいらっしゃいとお招きできるようになり、日本から出家した比丘たちが成長してそろそろ日本にでも行きますか、と許可が下りるようになり、協会にあちこちから比丘たちが集まるようになれば、「比丘サンガ」はすぐに完成します。つまり「比丘サンガ」設立のためには、まず、今の私たちがしっかり仏法を学び修して「在家のサンガ」にならなければならないのです。意見はしっかり出し合って、話し合って、よく考えて、しかもケンカせずに仲良くしていられたら、「在家のサンガ」と言えるでしょう。
スマナサーラ先生は早晩亡くなられます。私たちも早晩死にます。先生が亡くなられた後の協会のこと、自分の次の生のことなどを考えながら行動すると、結構身が引き締まります。
私たちみんなに三宝のご加護がございますように。
藤本慈照 拝
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